「日本人のひ弱さのしくみ」…『ことばの社会学』より | Be HAPPY 日々精進・・かな。

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『ことばの社会学』 鈴木孝夫(慶応大学名誉教授)著/新潮社(1987年)より


日本人のひ弱さのしくみ

「オーストラリア大陸に白人が移り住むまで、そこに住んでいた温血動物は、鳥類を除くとすべてが有袋類であった。ところがオーストラリア大陸が分離するまでのユーラシア大陸にも、有袋類全盛時代があったのである。だが分離した方の小大陸では有袋類より強い動物がその後になっても発生しなかったのに対して、本家の大陸では真獣類という強力な哺乳動物が生れ、これが弱い有袋類を駆逐してしまったのである。


だからオーストラリアに移住した英国人が持ち込んだ真獣類の犬や兎は、向う所敵なしと言った勢いで先住の有袋類を圧迫して行ったのである。オーストラリアの動物は、どれをとっても、ユーラシアの相手に敵うものは一つとして見当らない。


(中略)

ユーラシア大陸に現存している民族は、どれも過酷な風土条件と、すさまじい異民族間の抗争、殺し合いの弱肉強食の長い歴史を持つ筋金入りの民族である。これまでに弱い者はすべて滅んでしまい、いま残っている民族はそれがたとえローマ人によって不毛の岩山に追い上げられたバスク人や、極北の地に押しやられた少数民族であっても、それぞれが地の利、特殊な風土条件などを武器として逞しく生きのびて来たのであって、どこから見ても「弱い」民族であったら生きては来られなかった苛酷無情な世界が大陸には今も続いている。


したがってどの民族も、世界の中心は自分の国だと確信し、客観的にはどう見ても恵まれているとは言えない辺境の弱小民族ですら、自分自身に対する強い誇りを失っていないのが常である。この人々は強い自己凝固力に裏うちされた独自のアイデンティティを持たなければ、すぐ他民族に征服吸収されてしまう危険と緊張の中で生きているのだ。


近代になってアメリカやオーストラリア、南米そしてアメリカに移住したヨーロッパ人までも、みなこのような強さと世界観を、確たる文化遺産として継承していた。


アメリカ・インディアンや高い文化を誇ったインカ、マヤ、アステカの人々が、旧大陸の民族に、いとも簡単に制服されてしまったのは、武器が劣っていたとか科学技術が未熟だったことも一因であろうが、何よりも人間としての精神的な強さ、文化的なあくどさがまるで違っていたからだと思う。ちょうど真獣類に対して有袋類が歯が立たないようにである。


(中略)

そこでどの民族も阻止する力、超えられぬ障害に出会わなければ、どこまでも勢力を伸ばし続けようとする。接触した相手が弱ければ、これを征服し吸収するが、自分より強ければ反対に隷属される憂き目に会う。多彩な民族の混在したユーラシア大陸では、互いに押し合いせめぎ合うこの状態が何千年にわたって繰返され、強者が残り弱者が消えるという民族の興亡の姿となったわけである。


私たちはよくアメリカ帝国主義を口にし、またソ連に固有の領土拡張主義と言ったりするが、基本的にはこの他者を征服して自己の勢力拡大をはかる姿勢とは、人間性に深く根ざすところの「生きる」ことの姿に他ならないのである。


(中略)

真の国際社会では片時でも押すことを止めたら押し返されるだけで、停止ということは絶対に有り得ない。一見平衡を保ち現状が維持されているかのように見える民族同士の関係も、両者の押す力が一時的に釣り合っているにすぎない。もし一方が少しでも力を弛めれば直ちに相手に押し込まれてしまうという極度の緊張関係を内蔵しているのが現実の世界なのである。


(中略)

このような、いわば動物同士のダイナミックな攻撃と防御の緊張関係にも比することの出来る国際社会の中で、ひとり日本人の示す反応は、まるで自分と相手が植物的な関係であるかのような印象を与える。


(中略)

文句をつけられる度に謝るばかりで、反撃もせず、自国に直接関係のない不正や悪に対しては当たらずさわらずの態度をとることは、小国ならいざ知らず、日本が世界の主導的国家の一つとして扱われたいのならば、世界秩序維持の期待されている責任を自ら放棄することになる。」