![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/c8/48/j/o1600120014473746683.jpg?caw=800)
ホテル到着時は、何も知らなかったのですが、
ロビーなどの写真展示などを見ると、
震災の時からのこのホテルの様子などがわかりました。
とりあえず、広ーーーーーーーーいホテルでねえ、
最近の個人向けホテルに比べると、
何で?っていうくらい広くてね。
昭和の観光ホテルって感じでしょうか。
団体さんがどんどんみえたのでしょうねえ。
私たちが泊まったお部屋は、お部屋代優先ですから、
古くて、狭くて、今回の旅行最後のお泊りなのに残念な感じだったのです。
でも、裏返してみれば、津波被害をまぬがれた・・ってことでもあります。
んまあ、こんだけ広かったら、さぞかしたくさんの方が、
避難できたでしょうねえ。
レストランもいくつもありました。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/97/03/j/o1600120014473746684.jpg?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/cb/23/j/o1600120014473746688.jpg?caw=800)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/48/ec/j/o1600120014473746692.jpg?caw=800)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/5c/9c/j/o1600120014473746695.jpg?caw=800)
露天風呂も2つほどありました。
朝は大広間でね、あまりの広さと人の多さに、後ずさりしそうになりました。
まっ、翌朝とりあえず語り部さんのバスに申し込んでおいたので、
乗車したのですが。
はじめ、慣れるまで、語り部さんが何をおっしゃっているのか、
方言?なのでしょうか、わからなくて・・。
でもすぐ、伝わってきました。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/40/7e/j/o1600120014473746699.jpg?caw=800)
↓この体育館と運動場は市の避難場所に指定されていたそうで、
たくさんの人々が非難されてきたそうで。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/a0/df/j/o1280085414473746704.jpg?caw=800)
ここでもかなり高台だったんですが、まだ足らなくて、
体育館の上まで津波が来て、たくさんの方が犠牲になられたと。
自分で判断されたかたは、裏山を登って、なんとかまぬがれたとか。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/65/4c/j/o1280085414473746706.jpg?caw=800)
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/12/29/j/o1280085414473746707.jpg?caw=800)
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/38/69/j/o1280085414473746710.jpg?caw=800)
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/ad/ab/j/o1280085414473746711.jpg?caw=800)
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/2f/e7/j/o1280085414473746716.jpg?caw=800)
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/12/don9rimon8ri/d1/53/j/o1280085414473746719.jpg?caw=800)
語り部のおじさん、ホテルの方だけど、
地元の方で、なんか気持ちがこもっていてね、
「ここでは○○の方が亡くなりました。残念です。」
「一旦、山に避難した方もその日は3月11日で、寒かったんです。
ちょっとジャンバーを取りに・・とか、お年寄りの方のために防寒着を
取りに・・とか、年老いた親と一緒にと誘いあってる間に・・。
残念です。無念です。」
っておっしゃるの。
やはり、ニュースのアナウンサーさんの淡々とした声とは違いますね。
語り部さん、泣かせるだけじゃないでしょうけど、
8年も経ってるけど、
現地のその日が頭に浮かんで、せっぱつまる思いがしました。
ふう・・・・、
観光?ではないし、
復興を見に?っていうのも変ないい方だし、
復興支援の旅っていうのも、大げさで、何の手も汚さず、
1000円や2000円のお土産を買うだけで。
なにができた?ってわけでもないけれど、
でもこの目で三陸の現地、見られてよかったです。
心にしっかり刻みます。
語り部のおじさんも言ってらした。
日ごろから、皆さんのまちはどういう危険があるのか、
避難訓練があれば、しっかり参加して、
考えておいてくださいと。
もうこんな思いをする人がないようにと願います・・と。
わたし、老母から言われていたことを思い出しました。
あると思うな親と金。
ないと思うな運と災難っちゅうてな。
ほんまやなあ。