イメージ 1

ホテル到着時は、何も知らなかったのですが、
ロビーなどの写真展示などを見ると、
震災の時からのこのホテルの様子などがわかりました。

とりあえず、広ーーーーーーーーいホテルでねえ、
最近の個人向けホテルに比べると、
何で?っていうくらい広くてね。

昭和の観光ホテルって感じでしょうか。
団体さんがどんどんみえたのでしょうねえ。

私たちが泊まったお部屋は、お部屋代優先ですから、
古くて、狭くて、今回の旅行最後のお泊りなのに残念な感じだったのです。
でも、裏返してみれば、津波被害をまぬがれた・・ってことでもあります。

んまあ、こんだけ広かったら、さぞかしたくさんの方が、
避難できたでしょうねえ。
レストランもいくつもありました。

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

露天風呂も2つほどありました。
朝は大広間でね、あまりの広さと人の多さに、後ずさりしそうになりました。


まっ、翌朝とりあえず語り部さんのバスに申し込んでおいたので、
乗車したのですが。
はじめ、慣れるまで、語り部さんが何をおっしゃっているのか、
方言?なのでしょうか、わからなくて・・。

でもすぐ、伝わってきました。
イメージ 6


↓この体育館と運動場は市の避難場所に指定されていたそうで、
たくさんの人々が非難されてきたそうで。
イメージ 7

ここでもかなり高台だったんですが、まだ足らなくて、
体育館の上まで津波が来て、たくさんの方が犠牲になられたと。

自分で判断されたかたは、裏山を登って、なんとかまぬがれたとか。

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

語り部のおじさん、ホテルの方だけど、
地元の方で、なんか気持ちがこもっていてね、
「ここでは○○の方が亡くなりました。残念です。」
「一旦、山に避難した方もその日は3月11日で、寒かったんです。
  ちょっとジャンバーを取りに・・とか、お年寄りの方のために防寒着を
  取りに・・とか、年老いた親と一緒にと誘いあってる間に・・。
  残念です。無念です。」
っておっしゃるの。

やはり、ニュースのアナウンサーさんの淡々とした声とは違いますね。
語り部さん、泣かせるだけじゃないでしょうけど、
8年も経ってるけど、
現地のその日が頭に浮かんで、せっぱつまる思いがしました。

ふう・・・・、
観光?ではないし、
復興を見に?っていうのも変ないい方だし、
復興支援の旅っていうのも、大げさで、何の手も汚さず、
1000円や2000円のお土産を買うだけで。
なにができた?ってわけでもないけれど、
でもこの目で三陸の現地、見られてよかったです。
心にしっかり刻みます。

語り部のおじさんも言ってらした。
日ごろから、皆さんのまちはどういう危険があるのか、
避難訓練があれば、しっかり参加して、
考えておいてくださいと。
もうこんな思いをする人がないようにと願います・・と。

わたし、老母から言われていたことを思い出しました。

あると思うな親と金。
ないと思うな運と災難っちゅうてな。

ほんまやなあ。