11/22日金
  LCC飛行機中部セントレア11:05発→鹿児島空港、12:40着
  レンタカーで→→車車水俣病資料館→→霧島温泉泊
 
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鹿児島空港から水俣までは結構1時間半くらいかかりました。
以前、NHKアーカイブで水俣病のことをやっていて、
夜遅い番組だったんだけど、偶然見ていて、
すごくショックを受けたのです。
 
この前も水銀汚染公害の終結みたいなことをやっていたけれど、
夜中見た、あの映像が忘れられない。
 
・・・・・・で、鹿児島行くんならぜひ、行ってみたいと思い・・・・。
少々遠かったし、旦那はなんでそんな所にわざわざ??って言ったんだけど。
とりあえず、行ったんです。
 
何を求めて行ったのか、自分でもわからないけれど、現場へ・・と。
でもね、イメージしていた場所とは全然違い、
広ーーーーーーい、広ーーーーーーーーーーいきれいな公園になっていました。
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資料館などもあったのですが、
新聞などの切り抜きとかばっかりで、
映像が少ない気が・・・・。
やはり、病気や、個人の奇形?を映したりするのは、
その方々とのこともあるだろうから、控えているのか・・・。
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長崎の原爆記念館とかの展示やなんかとはおもむきが違う気がした。
戦争とかとは違うからなぁ。
大企業や国が相手だし、地方のことだから・・・か?。
建物はりっぱでやけに何でもかんでも広々だったけれど。
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もう何十年も昔の話だし?
裁判は終わっている。
いえいえ、今でも訴えている人がいるよ。
苦しんでいる人がいるよ。
でもそんな感じはこれっぽちもなく、
広大な埋め立て地は、市民のグラウンドや散策コースになっていたなあ。
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お涙頂戴的なことは何もなく、
でもなぁ、やっぱ戦争だけじゃなく、こういう事も伝えていかんとなぁ。
それにはちょっとアピールの仕方が弱い?気がしたよ。
強けりゃいいってもんでもないんだろうけど。
私たち一般人にはどうしようもない、いろんなことがあるんだろうけど・・・。
 
でも水銀排水が原因とわかりながらも、
それからまだまだ何年も流し続けた工場も、街中にありました。
そしてその工場から作られたプラスティック製品は、
なくてはならぬもので・・・。
むつかしいですが、水銀中毒になられた方々は・・・・・。
と、何もできない私の頭ではありますが、
あの映像を見て以来、どこかで考えています。
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帰りも結構時間がかかり、
お宿についたのは夕方6:30過ぎでした。
霧島温泉郷の豪華そうなホテルやお宿を通り過ぎ、
翌日のお山登りのことを考え、よりお山に近いお宿で。
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でもねえ、上辺は一生懸命おもてなしな感じにしているんだけれど、
いやいや、違いますから・・って感じだった。
温泉の温度、めっちゃ低くて寒っ
まっ、お値段も低く抑えたから仕方ありませんっ(きっぱり)。