クラオとモフは寝室にいた。ベッドの上で、二人とも裸だった。肌寒いので毛布をかぶっていた。
「……先に抱いて」モフは顔を赤らめて言った。「血を吸われたあと、元気がなくなってるかもしれないから」
「そうだね」クラオはうなずいた。「明日の朝もバッチリ鉄分とろうね。モフ」
 クラオはモフの裸の胸を触り、揉んだ。弾力があり、固かった。モフは喘いだ。
「前より大きくなったね、モフ?」
「一年も経ってるんだもの」モフは言った。「わたし、もうすぐ十八だよ?」
「これから毎日揉んであげる」クラオはモフの胸を中心の突起に向かって搾るように揉みしだいた。「固くなってるよ。ここ」
 クラオはモフの胸の突起を指でつまみ、くねくねうごかした。モフはたまらず声を出した。クラオはモフの胸に口をつけてなめた。突起の周囲全体を口のなかに入れて吸った。口腔内で固い突起をもてあそんだ。口を離した。唾をつけて濡れた突起を指で挟んでしごいた。
 モフは喘いだ。喘ぐモフの口をクラオの口がふさいだ。モフの口のなかにクラオの舌が入り込んだ。しばらくしてクラオが口を離すと、モフの声が一気に洩れた。
「ずっとずっといじってると、どうなるのかな?」
 モフは言葉にならない声を発して身体をよじった。
「愛してるよ。モフ」
 クラオは言った。クラオはモフの胸の固い突起をいじりつづけた。モフが上半身を反らして逃れようとするようにうごくと、やがて腰から下にビクンビクン震えが起きた。すぐにグッタリした。クラオはモフの胸から手を離すと、モフの顔を両手で挟んでまたキスした。モフは口のなかをクラオの舌になめられるままにしていた。
 クラオは口を離した。毛布のなかでモフの下半身を触った。太ももを撫でると脚をひらかせた。モフの股間に触れた。もう粘液まみれになっていた。濡れている亀裂に指を触れるとモフはビクッとなった。
「すごい濡れてる」クラオはモフの耳元にささやいた。「逝っちゃったからね」
「逝ったのひさしぶり」モフは言った。
「モフの身体触るの一年ぶりだもんな」クラオは言った。「あの頃よりグラマーになったね、モフ」
「最近食べすぎかも」モフは恥ずかしそうに言った。
 クラオはモフの股間に指を這わせた。亀裂を指で押し拡げて豆粒ほどの突起を探し当てると、粘液で濡れた指先を突起にくっつけてこすった。モフは激しく喘いだ。クラオは喘ぐモフの頭を片手で抱きながら口を吸った。そのままモフの股間の豆粒をこすりつづけた。やがてモフはクラオに抱かれながら上体をわななかせ、股間の奥のほうからくる波に下半身を震わしてグッタリした。
 クラオはすぐにモフの口を吸った。口を離すとモフに言った。
「また逝っちゃったね」モフの赤いほっぺたに唇をつけた。「何度も何度も逝かすからね。前みたいに」
「すごい気持ちいい」とモフ。
「僕のこと一年経っても好きだったの?」
 モフは無言でうなずいた。
「僕もモフが好きだったよ」クラオは言った。「モフとまたつながりたかった」
「あなたが気持ちいいことを教えてくれたのよ」
「させちゃいけないけど」クラオはモフを抱きしめた。「モフのこと妊娠させたい」
「わたしを?」モフは潤んだ目をクラオに向けた。「でも、なんで妊娠させちゃいけないの?」モフはそばにあるクラオの目にたずねた。「わたしがまだ学校に通ってるから?」
「吸血鬼の子供が生まれちまう」
 いままで幸福感にみちていたクラオの顔に暗い影が射した。
 モフはクラオの顔を見ると首根っこに抱きついた。
「いいじゃない? 子供が吸血鬼だって」モフはクラオの顔を胸に抱き寄せて言った。「あなたも吸血鬼なんだし」
「……」
 クラオは考えていることがあるらしかったが、なにも言わずにモフの胸の膨らみを掴んだ。小刻みに手をうごかした。モフはまた切ない声を洩らした。
 モフは両脚をひらいてクラオを待ち受けていた。クラオの下半身の器官はすっかり固くなっていた。モフの股間の亀裂を探り当てると、器官はヌルヌルした部分に分け入ってきた。モフは喘いだ。クラオは器官を根元まで入れるとそのままうごかさずにモフの顔を両手で挟んだ。
 モフの上気した赤い顔から血の匂いがしていた。クラオは特殊な嗅覚で皮膚を通して血液の匂いを嗅ぐことができた。その匂いはクラオの頭をクラクラさせた。「ああ……」と低く嘆息した。自分の身体の一部がモフの体内にもぐり込んでいるのを思い出し、クラオはうごきを再開した。
「モフ。可愛いよ」
 クラオはモフの口を吸った。
 ベッドの上でモフが繰り返し身体を震わしてグッタリしたあと、モフは器官同士がつながったままでモフに言った。
「血を吸っていい?」
 モフは目蓋をあけてクラオを見た。モフは黙ってうなずいた。クラオに血を吸わせるためにモフは顔を背けて首筋をさらけ出した。以前、クラオが眠っているモフの首筋から血を吸って絆創膏を貼ったことを教えられていた。
 クラオはモフの首筋に唇をつけた。キスしながら舌の先でそこの肌をなめた。血管を見つけると柔らかい肌にニュッと尖った八重歯を立てた。プツッと肌が傷つき、出血した。クラオは一滴も逃すことなく血を吸い込んだ。傷口を唇でふさいで血を飲んだ。あとからあとから血は噴き出した。
 クラオは吸うのをやめて傷口をなめると、ワセリンを塗った。その上に絆創膏を貼った。クラオはモフの体内から器官を抜いた。
 モフはクラオの身体を引き寄せて背中に腕を回した。クラオはモフの顔を覗き込むと、また口を吸った。
 口を離してクラオはきいた。
「痛くなかった?」
 モフは首を振った。
「逝ったあとだから気持ち良かった」モフは答えた。「なんだか眠いわ」
「寝ていいよ」
 クラオはタオルをとるとモフの股間を拭った。モフはされるがままにしていた。股間のぬめりをとってクラオがモフを見ると、すでに寝息を立てていた。

 モフはクラオの家に頻繁にやってくるようになった。泊まった翌朝、クラオの家から学校へ行くことも多かった。モフはクラオの家で家事をし、クラオとしょっちゅう身体をくっつけ合っていた。
 モフは母親にクラオを紹介した。どうしても会わせたいらしかった。クラオがモフの家から帰ったあとでモフの母親は「八重歯が伸びた人だね」と娘にささやいた。モフはクラオの正体は母親に隠していた。
 モフは定期的にクラオに血を吸わせていた。半月ごとに血を提供した。そのかわりクラオがほかの女を狩猟して血を吸うのをやめさせた。たいていベッドで行為をしたあとに吸血の時が訪れた。クラオはモフの血を吸うと全身に活力がみなぎり、よみがえったようになった。ベッドでは反対にモフが眠りこけていた。クラオは血を吸ったあとのモフの体調を心配した。
 血を吸った翌朝、クラオは鉄分の栄養剤をモフに飲ませた。モフは鉄分をとるといくらか元気をとり戻したように見えた。半年ほどそんな生活をつづけた。
 ある朝、モフは目覚まし時計が鳴っても目を覚まさなかった。クラオが手を伸ばして時計を止めると、モフに呼びかけた。モフはしばらく経って目をあけた。
「おはよう。クラオさん」
 モフは眠そうな声で言った。クラオは身体を起こそうとしないモフを見て「眠り姫はキスされるまで起き上がれないのかな?」と言った。
「キスして」
 モフが言った。クラオはモフにかがみ込んでキスした。しかしモフはまた目蓋を閉じてしまった。
「モフ。起きないの?」
 クラオがきいた。
「……」
 モフは答えなかった。クラオはようやく心配になった。昨夜、恒例の吸血をしたのだ。行為のあとの吸血もいつもと同じだった。変わったことといえば、モフが血を吸っている最中に眠り始めたことだった。
 モフの眠りを妨げるのは悪いので起こさずに傷口に絆創膏を貼り、そのままクラオもモフの隣で寝た。血を飲んだ翌朝はクラオは生気にみちている。ぐっすり眠って体調も良い。反してモフが一向に目を覚まさないのが気がかりだった。
「モフ?」
 クラオはモフに顔を近づけて呼んだ。ややあってモフは目をひらいた。
「平気」モフは言った。「眠いだけ。眠くて起き上がれないわ」
「大丈夫?」クラオはモフの顔を両手で挟んで「貧血じゃない?」
「そうかも」モフは答えた。蚊の鳴くような声だった。「ただの貧血よ」
 ただの貧血のはずがない。クラオが血を吸ったせいにちがいなかった。モフはそのまま眠りつづけた。学校へ行く日だった。今日は行けないだろう。クラオは学校に電話をかけてモフが病欠することを伝えた。モフの兄と名乗ったら、すんなり通じた。
 その日モフはお昼になっても起きなかった。そういえばモフは今朝まだ一度もトイレに立っていなかった。小用をさせるべきだと思い、クラオはモフに呼びかけた。
「モフ。トイレ行きたくない?」
 モフはしばらくして目を閉じたままで「……うん」と返事した。「おしっこしたい」だが起き上がる気配がなかった。
 クラオはモフの背中に腕を回して抱き起こした。裸に肌着だけつけていた。昨夜、行為のあとそのまま寝たからだ。クラオはモフのお尻の下を腕で支え、背中を抱いて抱っこするとトイレへ運んだ。下着をはいていない下半身を便座にのせた。
「モフ。さ、出すんだよ」
 モフは相変わらず目を閉じたまま「うん」と返事した。クラオはモフの裸の下半身の膀胱の上を手で押した。モフはたちまち放尿した。用がすむとモフは「ごめんなさい。面倒かけて」と言った。
 モフはその日、夕方近くなってやっと自力で起き上がった。クラオはいつものように鉄分の栄養剤をモフに飲ませた。
 クラオは絶望的な気分だった。その夜、モフはもう一晩クラオの家に泊まることになった。ベッドに寝ながらクラオは両手を組み合わせた。灯りを消すと、天井を見上げて「……神様」と呟いた。両頬を涙が伝って落ちた。
 明くる朝。モフはクラオより先に目覚めていた。クラオはモフが起きる気配で目蓋をあけた。
「おはよう、クラオさん」
 モフが言った。クラオはモフを見ると、モフの手を掴んだ。
「モフ。お願いがあるんだ」
 モフはけげんそうにクラオを見た。
「なあに?」
「最後のお願いだ」クラオは言った。「僕の心臓に杭を打ち込んでくれ」
「なんですって?」
 モフはおどろいて声を出した。
「このまま僕がモフの血を吸いつづけたら、モフは遠からず死んじまう」クラオは暗い口調で言った。「僕なんか、この世にいないほうがいいんだ。モフ。きみを生かすために僕を殺してよ」
「クラオさん……」
 モフは涙声で言った。
「僕は棺桶に寝るから」クラオはモフを見た。「僕の心臓に杭を打ったら棺桶に蓋をしてくれ。僕の父さんのように僕は……」
「自分だけ死なないでよ」
 モフは不意にするどい口ぶりで言うと、クラオの首根っこにかじりついた。首筋に歯を立てた。傷つくと血が出た。モフは出た血を夢中で吸い込んだ。
 クラオはおどろきに目を見張り、モフを見た。
「わたしもとうとう吸血鬼になったのよ。ほら」モフは口を指で拡げて見せた。八重歯がニュッと伸びていた。「昨日、なかなか起きなかったのは血を吸ってないから弱っていたんだわ」
「モフ……」
「これでわたしたちは一緒よ」モフは血を吸ったあとクラオの首筋に絆創膏を貼った。「時々、お互いに血を飲み合いましょう。それしか生きる方法はないわ」
「モフ」クラオは涙ぐんだ。「ごめん」
「いいのよ」モフは言った。「これでわたし、あなたの赤ちゃんを産めるわ」
 クラオはモフの背中を抱きしめた。モフの後頭部を抱くと、モフの口を吸いとらんばかりにキスした。







 クラオは高等学校で「マナー部」というクラブに所属していた。部員の数は多くなかったが、食事や社交の際のマナーを学ぶのがもっぱらの活動だった。活動内容の緩さでわかるが、積極的に活動に参加しなくていいし、熱心に活動する必要もないひまなクラブだった。
 学校の校則で必ず部活動にたずさわっていなくてはならない。活動熱心なクラブに加わりたくない生徒や、受験勉強に専念したいので忙しくないクラブを探している生徒がマナー部の部員だった。幽霊部員もいた。クラオは一年の途中からマナー部員になった。吸血鬼の自分がなるべく他人と関わらずに過ごせる部活動を探してたらマナー部を見つけた。
 一年からずっとマナー部員だが、適当なクラブだから部員同士の付き合いも緩かった。仲良しになって一緒に遊んでいる部員もいるが、クラオはだれとも懇意にならずにひっそりと過ごしていた。教室では同級生に「あいつ、暗いよな」と陰口を叩かれることがあるが、マナー部ではみんな自由だった。
 クラオが三年になった時、マナー部に一年生の新入部員が何人か増えた。そのなかにモフがいた。小柄な女子生徒で、最初は気にもとめなかった。入部した日に全員で自己紹介した。互いの名を覚える機会はそれだけだった。
 ある日クラオが部室の隅っこで本を読んでいると、下級生のモフがクラオに近づいた。「あの……」モフに呼びかけられ、クラオは本のページから顔を上げた。
「なに?」とクラオ。
「ドラ先輩、ですよね?」モフがきいた。クラオはうなずいた。「マナーの本読んでるんですけど、先輩はなんのマナーの本を読んでいるんですか?」
「マナーの本?」
 クラオはきき返した。
「ええ。わたしはテーブルマナー百科です」モフが答えた。
「マナーの本なんか読んでいない」クラオはもっていた本を示した。「僕は『怪獣怪人大百科』を読んでるんだ」
 モフは当てが外れてずっこけた。クラオは優しく説明してやった。
「きみ、モフちゃんだっけ? マナー部でマナーの本をまじめに読むやつなんかいない。いるとしたら、きみぐらいだ」クラオは言った。「うちの部は部活動をやりたくないやつが入る部なんだ。一応うちの部員になっとけば先生からうるさく言われないからね」
 モフは目を丸くしていた。ははあ、勘違い入部だな。クラオは合点した。たまにいるのだ。本気でマナーを習得できるクラブと思い込む生徒が。
「ドラ先輩はいつもこの部室にいらっしゃるんですか?」
「そうだね」クラオは耳の穴をほじくりながら「放課後はたいていいるな」
「マナーを勉強なさってるんじゃないのですか?」
「いいや」クラオは首を振った。「マナーのことなんか考えていない。僕がいつもこの部屋で考えているのは『クレクレタコラ』や『ナショナルキッド』のことだ」
 モフは予想外の回答にすっかり困惑した様子だった。クラオは言ってやった。
「マナーを知りたいなら、教えてあげよう。ナイフとフォークのもち方だ」クラオは両手をさし出した。「左手でフォークをもち、右手でナイフをもつ。きみが右利きならね」
「もちろん、知ってます」モフは答えた。
「知ってたの?」クラオはヒューッと高い音を鳴らした。「そいつは大したもんだ。モフちゃん、きみはテーブルマナーを知り尽くしている。もうどこの高級ホテルのレストランのテーブルにも座れる」
 モフは礼を言って部室から出て行った。クラオは部室のドアが閉まる音を聞いて、彼女は二度とここへ現れないだろうと思った。
 ところが翌日、いつものごとくクラオがマナー部の部室の隅で「怪獣怪人大百科」をめくっていると、ひらいた本のページの向こうにモフの顔が現れた。ニッコリ笑って手を振っている。
「ドラ先輩」モフが言った。「隣に座っていいですか?」
 クラオは意外そうに下級生の女子を見た。
「いいよ」クラオは本を机に置いて「昨日あんなことを言われて、てっきりうちの部をやめたと思った」
「いいえ」モフは言った。「マナー部をつづけます。楽そうでいいなと思って」
「そう」クラオはうなずいた。「うちの部の良いところは楽なところさ」
 モフはクラオの隣の椅子に腰かけてもってきた本を読み始めた。
「ドラ先輩はなぜマナー部に入ったんですか?」
 モフが話しかけた。
「うちの部員がうちの部にいるのは部活動をやりたくないからだ」クラオは答えた。「部活動をやりたくない理由は、勉強が忙しいか、怠け者か、だ」
「ドラ先輩はどっち?」
「怠け者だ」クラオは答えた。真の理由は別だが、怠け者なのは嘘ではない。
「じゃあ、わたしも怠け者になります」
 モフが言った。
「強いて怠け者にならなくてもいいよ」クラオは言った。「やりたいことがあるならやったほうがいい」
「先輩、おかしい」モフが笑った。
 そんなことを話すうちにクラオとモフは親しくなった。家の方向も一緒だったから部活動からの帰り道、一緒に歩いた。しばらくするうちに付き合い出した。クラオが申し込んだが、なんとなく付き合いを申し込まないと悪いようなムードをモフが醸し出していたのだ。
 二人が交際したのはクラオが学校を卒業するまでの一年間だった。すでにクラオは両親が死んでいて一人暮らしだった。モフを自宅に招いて、一緒に食事をした。それから寝室で行為に及んだ。クラオが成熟した男女関係を結んだのはモフとが唯一だった。
 実はモフの血を吸ったことが二度ある。悪いとは知りつつ、クラオは欲求に負けた。それまでも身体を重ねるたびにモフの身体から漂う血液の匂いにたまらない思いをしていた。血を吸ったのはいずれも行為のあと、ベッドでモフが眠っているあいだだった。
 一度目はモフの二の腕の裏側に八重歯を立てて血を啜った。傷口にワセリンを塗っておいた。二度目は首筋から吸った。首筋の脈から新鮮な血がどくどく湧いてきて、クラオは夢中で吸い込んだ。目立つ箇所なので首筋の傷口には絆創膏を貼った。
 明くる朝、目を覚ましたモフが首の絆創膏に気づいて「あれ?」と声を出した。
「絆創膏がついてる」
 モフが言った。クラオがモフの顔にかがみ込んで、教えた。
「僕が咬んだんだ」クラオはモフの首筋の絆創膏を触って「痛くない?」
「ほとんど痛みはないわ」モフは不思議そうにクラオを見た。「なぜ咬んだの?」
「モフの首筋にキスしていたら、急に肌を咬みたくなって、歯を立てちまったのさ」クラオは言い訳をした。「そしたら血が出た。しばらく絆創膏を押さえておいたから止まったと思うけど」
「わたしが寝ている隙に咬んだのね?」
 モフはいたずらを見つけた人の目つきでクラオを見た。
「ごめんよ。その……」クラオは言葉を探した。「モフの首筋が華奢で、スベスベしててとても色っぽかったもんだからね」
「わたしを傷つけたいの?」
 モフはクラオにすり寄って甘えた。クラオはモフの裸の肩を抱いた。手のひらで髪の毛をモフモフ撫でた。
 モフと付き合っていた時期、彼女の血を吸うのをかろうじて二度でやめたのは賢明だったとクラオは思った。我慢してよかった。もう何度か、繰り返し血を吸ったら、モフは吸血鬼になっていたかもしれない。クラオの母親がそうだったように。
 クラオは学校を出るタイミングでモフと別れた。このままモフと付き合いつづけたら、辛抱できずに血を吸うのがわかっていた。別れるのはつらかった。クラオはモフを愛していた。クラオが別れ話を切り出した時、モフは泣いて、走り去った。クラオは「これでいい」と自分に言い聞かせた。目が涙でにじんで視界がぼやけた。

 そのモフを夜道でおそってしまった。よりによって、彼女を。クラオはクロロフォルムを嗅いで眠っているモフの身体を抱っこした。この身体を一年前まで同じように抱っこしていた。勝手知ったる身体つきだった。
 家のなかへ入ってモフを寝室のベッドに寝かせた。血を吸う気にはなれなかった。モフの血を吸わないために別れたのだ。それがいま、こうして血を吸うためにベッドに寝かしている。バカな話だ。クラオはモフの横に添い寝しかけて、やめた。恋人じゃない女の子に添い寝するなんておこがましい。クラオは寝室から出て階下の居間のソファに座った。
 いつの間にか眠ってしまった。目を覚ますとソファの横にモフがいた。
「クラオさん」モフがきいた。「どうしてわたしをさらったの?」
 クラオは答えられなかった。モフの手を握って「ごめんね」と言った。
「モフだと思わなかった」
 クラオは言った。
「どういう意味?」モフはきいた。「ほかの女の子だと思ったってこと?」
 クラオは黙ってうなずいた。それからモフの目を見て言った。
「だましてごめん。僕はきみが好きでないから別れたんじゃない」
「……」
 モフは無言のままクラオを見た。
「僕は吸血鬼だ」
 クラオはありのままの事実をモフに打ち明けた。

 浴室から出ると、モフは食卓に料理を並べて待っていた。クラオは服を着て食卓についた。
「不思議だな」クラオは言った。「一年前もこの通りに二人で過ごしていた。きみが食事を作ってくれて、一緒に食べて」
「わたし、一年前より料理のレパートリーが増えたのよ?」モフは言った。「家族に時々作ってるんだから」
「モフは彼氏いないの?」
 クラオがきいた。
「いない」モフが答えた。「男の人と付き合ったのはあなたが最後よ」
「なんで彼氏つくらないの?」
「彼氏にしたい人がいないから」モフは答えた。
「一人も?」とクラオ。
「あなた以外には」
 クラオは黙った。卓上にレバニラ炒めとほうれん草のソティが並んでいた。クラオはフォークでそれらをつついた。
「また僕と付き合ったら」クラオは言った。「モフの血を吸うのを我慢できないよ?」
「いいよ」モフは言った。
「なにが?」とクラオ。
「吸っていいよ」モフが言った。「わたしの血」
「モフ。昨日僕が話したことわかってるの?」クラオは言った。「僕がきみの血を吸いつづけたら、きみは吸血鬼になっちまうんだってこと」
「いいよ、吸血鬼になっても」モフは微笑んだ。「わたしの血を吸って。ほかの女の血なんか吸わないで」
 クラオは押し黙った。気が進まない。どうしてこの子はそっちの方向にばかり思い切りがよいのだろうか。
「あなたに血を吸われるために、鉄分豊富な食べ物を作ったんだから」
 クラオは卓上のレバーとほうれん草を眺めた。それからワインを一口ぐびりと飲むと、レバニラ炒めとほうれん草の皿をモフの前に押し寄せた。
「全部モフが食べてよ」
「じゃあ、あなた、また……」
 モフが顔を輝かした。
「モフ」クラオは頭を垂れて言った。「僕と付き合ってください」
 モフは手を伸ばした。クラオの手を握りしめた。モフは答えた。
「はい」




続く。




 クラオは女を部屋へ引きずり込んだ。女は無抵抗だった。さっき夜道で薬を嗅がせて眠らしたのだ。身体を抱きかかえながら家まで連れてきた。
 部屋のソファに女を座らせた。グッタリしているので、背中をもたれるとたちまち頭を垂れた。クラオはかがみ込んで女の肩を抱いた。いい女だった。二十歳すぎだろう。男の性欲をそそられるが、クラオは別の欲求がまさっていた。女の身体を必要としているが、身体のあちこちを触ったりはしない。
 女の名前は知らなかった。見知らぬ人なのだ。駅の近くで見かけて、あとをつけてきた。この女を獲物にするか、迷っていた。いつも実行に躊躇する。気が進まない。だがやらなければ生きてゆけないからやむなくやるのだ。
 あとをつけながら、自宅の方角へ歩いて行ったらこの娘にしようと考えた。次の角を曲がって、通りを渡ったらあきらめようと思った。渡らずに直進したら尾行をつづける。女は角を曲がって、そのまま直進した。畜生。クラオは舌打ちした。十歩以上離れてつけてるので、クラオに尾行されていることは気づかれていない。
 女はしばらく歩いてまた角を曲がり、狭い道に入った。暗い夜道で、街灯はまばらだった。クラオは歩く速度を速めた。女の背後に近づいた。女が気づいて振り向いた時、クラオは彼女の顔があごにぶつかるぐらいまで接近していた。
 女の顔におどろきが広がった。クラオは彼女の身体に腕を回して抱きついた。ポケットからとり出したハンカチをすばやく女の鼻と口に押しつけた。女はもがいた。だがハンカチを通さないと息ができなくなって、次第に力が弱まっていった。ハンカチにはクロロフォルムが染み込んでいた。
 その道からクラオの家までは遠くなかった。酒に酔い潰れた恋人を介抱して家へ運んでやるフリをした。「まったく、弱いのに飲みすぎるんだから」とか「ほら、もうすぐ家だよ。頑張ってよ」と呼びかけた。女は時々もぐもぐ口をうごかしたが、言葉にならない声が洩れるだけだった。
 ソファにグッタリと寝そべっている女にかがみ込んで抱きしめた。恋人でも友人でもない見ず知らずの相手を抱きしめるのはおかしな感じだ。最初の頃は違和感を覚えた。場数を重ねるにつれ、だんだん考えが変わってきた。女は獲物だ。自分と関わりのある人ではない。自分は女のなかの成分が必要だから、分けてもらうだけだ。そう思ってから、抱きしめることにためらわなくなった。それに抱きしめないと次の行動に移れないのだ。
 クラオは女の顔が右側を向いていたので反対側に向けた。ソファに後頭部をのせて楽な体勢をとらせ、背中を抱きながら女の首に口をつけた。抱きしめるのはもしもの時の用心でもある。もし眠っている女が目を覚まして抵抗したら、逃げられないようにしなくてはならない。クラオは女の首筋に口をつけると、尖った八重歯で首筋の肌を咬んだ。脈のありかは何度もやっているのですぐわかる。するどい歯が皮膚を破って血管を傷ついた。血が出た。噴き出した血を一滴も逃すまいと口で傷口をふさいだ。そのまま夢中で血を吸った。
 クラオは血管から血を吸い込んだ。どのくらい飲んだか、かなりの量を啜ってクラオは満足した。血液で体内がみなぎっていると感じる。この感覚を得るために、獲物を捕まえてるのだ。身体が充電されたようだ。クラオは寿命が延びた気がした。
 血を吸ったあと、女の首筋の傷口に絆創膏を貼った。女の顔を覗き込むと、青ざめていた。いきなり血を失ったのだから当然だろう。もうこの獲物は用ずみだ。クラオは同じ獲物の血を複数回飲まないことにしていた。
 何度もクラオが血を吸った女は、吸う時にクラオの唾液が血管に入って、やがてクラオと同じタイプの病人になってしまう。すなわち血を吸わないと生きてゆけない病人に。そのことは知っていた。だから同じ獲物は二度と狙わないのだ。
 クラオは片手に毛布を巻きつけてソファの上でグッタリしている女を抱き起こした。目は覚めないが上半身がクラオのほうにもち上がった。クラオは女を抱き上げてお尻の下を抱え、抱っこした。血を飲んだおかげで体力が湧いている。クラオは女を抱っこしながらそとへ出た。
 道を歩いて町を横切った。ひとけのない真夜中の公園にたどりついた。クラオは公園にあるベンチに女を座らせ、身体に毛布をかぶせた。防寒のためだった。屋外に放置して女に凍え死なれては困る。毛布で女の全身を包み込むと、足早にその場を去った。風のように家へ帰宅した。

 ドラ・クラオは吸血鬼だった。古い一族に生まれたが、親から自分たちが吸血鬼だと知らされたのは十代の頃だった。
 母親はクラオの幼少期に早死にした。父親も健康的とはいいがたく、医者にかかるのを避けて暮らしていたため、ベッドに臥せっている日が多かった。ふつうの病気ではなかった。父は吸血鬼だが、人の生き血を飲むことが減ったために衰弱していったのだ。深夜に狩猟に出る体力は残っていなかった。
 クラオの父は棺桶のなかで寝る習慣だった。日光を浴びると皮膚が悪くなる体質なので、暗い場所にいるのを好んでいた。蓋をかぶせた棺桶のなかは完全な暗闇なので、父にはうってつけの寝床だった。暗いところが好きなので、息子にもクラオと名づけたのかもしれなかった。
 クラオが学校から帰ってきたある日、父は棺桶のなかからクラオを呼んだ。
「クラオ。よく聞きなさい」
 姿の見えない父が棺桶のなかで喋っていた。棺桶が言葉を発しているようで、奇妙な感じがした。
「お父さんは吸血鬼だ」棺桶が言った。「そして、クラオ。お前もまた吸血鬼だ」
 クラオはそれを聞いて動揺した。
「わが一族は先祖代々吸血鬼の家系なのだ」棺桶がまた言った。「お前のお母さんは生まれつきの吸血鬼ではなかった。お父さんと結婚して吸血鬼になった。そのせいで身体が弱くなってしまった。お母さんは長く生きられなかった」
「お母さんはなんの病気で死んだの?」
 クラオはきいた。
「病気ではない」棺桶のなかの父が答えた。「人の血を吸わないせいで衰弱して死んだのだ。われわれは生きている人の血を飲まないと生きてゆけないのだ。この体質が病気だというなら、吸血鬼という病だ」
 棺桶は黙った。クラオも黙っていた。絶望的な気分だった。クラオも吸血鬼なら、だれかの血を吸わないと生きてゆけないことになる。
「いままでクラオにはお父さんの血をこっそり飲ませていた」棺桶はまた言った。「お前が食べるビーフシチューにはお父さんの血が混じっていたのだ。そうしなければお前は成長できなかった。だが、もう限界だ。お父さんはお前に血を分けてあげられない。お父さんはもうすぐ死ぬ」
 棺桶は言った。クラオの目にモリモリ涙が盛り上がってきた。「お父さん、死なないで」クラオは泣いた。
「クラオ。われわれドラ家は呪われた一族だ。世の中から忌み嫌われる一族だ」棺桶は言った。「きっと、われわれはこの世に生きていないほうがいいのだ。だがクラオ。お父さんはお前には生きてほしい。吸血鬼の先輩としてよくよくお前に言っておく。死にたくなかったら、人の血を吸うことだ。嫌われてもとがめられても人の血を吸うのだ。お前が生きるためには、そうするしかない」
 父は棺桶の寝床で死んだ。死んだ時、父はいつものように棺桶のなかで蓋をかぶせたままだった。棺桶はもう一言もものを言わなかった。
 クラオは学校を卒業してから定期的に人の血を吸うようになった。夜遅くなって出かけた。もっぱら女の血を吸った。女の血のほうが美味しかった。
 夜道でいきなりおそって咬むことを考えたが、おとなしく血を吸われている人などいるはずがない。そこで麻酔薬を嗅がせるやり方にした。はじめのうちはクロロフォルムでグッタリした女を道で即座に咬んでいた。しかしその姿は人目につく。短時間しか血を吸えず、蚊よりいくらか多めに吸っただけで逃げなくてはならない。満足感を得られないまま、見つかるリスクばかり増す。
 そこで眠った女を家へ連れ込むようになった。血を吸った女を家でいつまでも寝かせておくと目が覚めた時面倒なので、屋外のどこかへ運び出すことにした。女たちが血を吸われたことに気づいたかどうかは確かめようがなかった。首筋にできた傷口に絆創膏が貼ってあるほかはなにも異状がないのだ。犯されたわけでもない。変な夢を見たように思って帰宅するだろう。貧血に気づくかもしれないが、女性に貧血はままあるから、おどろくほどではない。
 クラオは夕方そとを歩いていて町会の掲示板をなにげなく見た。そしてそこに貼り出されたものを見つけた。

  《吸血鬼にご用心》

 クラオは心臓が飛び上がりそうになった。慌てて見出しの下の文面を読んだ。

 《最近、当町会にて不審な人物に麻酔薬を嗅がせられ、血液を吸いとられた事件が発生しております。被害者は若い女性で、複数の女性が被害に遭っています。町会は防犯のため有志による夜間パトロールを実施していきます》

 クラオは掲示板から離れた。あまりじっと覗き込んでいると怪しまれる気がした。どうしよう、と思った。このままだと近所で獲物を捕ることができない。
 郊外へ出張して獲物を探すことも考えた。田舎ならひとけのない山や森のなかで女の血を吸ってずらかる手段もある。いよいよ地元で獲物を確保できなくなれば、あちこち遠方へ出かけてやるしかない。そのほうが安全ともいえる。
 この前女の血を吸ってからしばらく経ち、クラオはまた血が吸いたくなってきた。週に一度は血を飲むのが理想的なのだ。それほど頻繁にやると足がつくから月に一度ぐらいで我慢していた。地元で狩猟をするのもこれが最後かもしれない。クラオは夜になって出かけた。
 道を歩いていると若い女が歩いていた。小柄な女の子だ。クラオはいつものように尾行を始めた。今夜も迷っていた。この子にするかな。まだ未成年かもしれない。クラオは次の角を曲がらなかったら別の獲物にしようと思った。
 女の子は角を曲がった。クラオは舌打ちした。足を速めて近づいた。女の子は坂を上がって行った。ひとけのない坂だった。クラオは坂を足音を立てずにずんずんのぼり、女の子の背後に接近すると、彼女の後ろから両手を伸ばした。
 女の子は振り返った。いつものことだ。すでに出していたハンカチを彼女の顔に当てようとした瞬間、女の子はクラオを見て声を出した。
「ドラ先輩……」
 クラオは危うく声を出すところだった。声のかわりに手が出て、薬が染みたハンカチを女の子の口にかぶせた。羽交いじめにしてハンカチを当てつづけていると、女の子はグッタリした。
 クラオが眠らした女の子は、クラオの高等学校の後輩だった。よく知っていた。付き合っていたからだ。




続く。