Uターンすら期待できない地域が、IターンやJターンを望むのには無理があります。もちろん、住民とは異なる視点から、何か新しいものを見つけてやってきてくれる人もいるかもしれません。しかし、えてしてそういう人たちは、住民とは違った生活スタイルを求めるケースが多く、結局は、浮いてしまい、またどこかに流れてしまうということも少なくありません。住民が心を開いて外からの刺激の全てを受け入れる覚悟がなければ、IターンやJターンは有効に作用しません。といっても、地元の若い人たちが、閉塞感に押し潰されそうになって都会に逃げ出しているような地域に胸襟を開けと言っても望むべくもありませんよね。
一方で、市場も労働力もないところに企業(工場)はやって来ません。マーケットに近い所で作ることのほうが経済効率性が高いという基本的な理由によるもので、企業の活動範囲が世界レベルになると、大企業はおろか中小企業にすら国境にはほとんど意味がなくなってしまいます。しかし、逆説的にいえば、世界中がマーケットで、少量の高付加価値商品を供給するようなビジネスモデルを創りあげてしまえば、田舎でも十分にビジネスは成立するということになります。
人や企業を外から移入することが難しい現状では、僻地にいながらピンで世界と渡り合える企業や人材を地域ぐるみで育てるしかありません。現代では、物理的な距離と移動距離と通信距離は必ずしもリンクしているわけではありませんから、例えばネット通販を使えば、居ながらにして世界中のショップで買い物ができるのと同じことが、ほとんどのビジネス分野についても実現可能なはずです。
徒歩や自転車で通学可能な学校が高校までしかない地方では、親御さんの多くが「大学を卒業するまでは面倒をみてやるが、卒業後は東京でも大阪でもいいから自活しろ」と言ってお子さんを都会に送り出しています。これはとても情けないセリフで、その結果が現状だということを、先ずはしっかりと認識する必要があります。その上で、地域の大人の役割は、Uターンしてもらうために働く場所を用意するのではなく、Uターンして事業を興してくれる人材を育てることだと認識をあらためる必要があります。
台風12・11号で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
吉野川水系は、ほんの数年前まで、大雨が降る度に流域に大きな災害をもたらしてきました。
現在の吉野川水系は、平野部に我が国でも屈指の堤防を築いて氾濫を防ぐとともに、上流部の早明浦ダムと中流部の池田ダムで流量をコントロールしています。
その結果、今回の2度の台風襲来による未曾有の大雨にもかかわらず、かつてのような大きな災害に遭うことはありませんでした。
一方で、高知県の四万十川や徳島県の那賀川は、氾濫によって多くの家屋や田畑が大きな被害に遭ってしまいました。
ダムを作って流量を調整し、堤防を築いて氾濫を防ぐことが、治水の基本であることをあらためて感じたしだいです。
今、我々が成すべきことは、100年後の子孫が同じように被災することがないよう、災害を防ぐために、最新・最高の土木・建築技術を駆使してダムを建設し、堤防を築くことだと思います。
自然保護であるとか、環境保全であるとか、調整の難しい問題は多々ありますが、大きな災害に遭えば、守ろうとしている自然や環境ですら、人間の生活とともに、瞬く間に奪われてしまいます。
もしかすると、この景色を子孫のために残したいという気持ちも、子孫にとってはエゴと聞こえるかもしれません。
人口減少、少子高齢化の進む中、使えるお金は限られており、しかもその額は年々少なくなっていきます。
剥き出しのコンクリートを否定することが、100年後の子孫の生活を否定することになってはいけないと思います。
吉野川水系は、ほんの数年前まで、大雨が降る度に流域に大きな災害をもたらしてきました。
現在の吉野川水系は、平野部に我が国でも屈指の堤防を築いて氾濫を防ぐとともに、上流部の早明浦ダムと中流部の池田ダムで流量をコントロールしています。
その結果、今回の2度の台風襲来による未曾有の大雨にもかかわらず、かつてのような大きな災害に遭うことはありませんでした。
一方で、高知県の四万十川や徳島県の那賀川は、氾濫によって多くの家屋や田畑が大きな被害に遭ってしまいました。
ダムを作って流量を調整し、堤防を築いて氾濫を防ぐことが、治水の基本であることをあらためて感じたしだいです。
今、我々が成すべきことは、100年後の子孫が同じように被災することがないよう、災害を防ぐために、最新・最高の土木・建築技術を駆使してダムを建設し、堤防を築くことだと思います。
自然保護であるとか、環境保全であるとか、調整の難しい問題は多々ありますが、大きな災害に遭えば、守ろうとしている自然や環境ですら、人間の生活とともに、瞬く間に奪われてしまいます。
もしかすると、この景色を子孫のために残したいという気持ちも、子孫にとってはエゴと聞こえるかもしれません。
人口減少、少子高齢化の進む中、使えるお金は限られており、しかもその額は年々少なくなっていきます。
剥き出しのコンクリートを否定することが、100年後の子孫の生活を否定することになってはいけないと思います。
