もうすぐ野球シーズンの開幕です。このブログを読んでいる方には野球ファンは少ないかもしれませんが、野球に疎い方でも大谷翔平選手を知らない方はいないのではないでしょうか。

 

大谷選手は、お酒を飲まないのはもちろん、外食も殆どせず、お誘いも殆ど断るらしいです。昨シーズンに、WBCで共に戦った優勝メンバーであるヌートバー選手の所属するカージナルスと対戦した時に、ヌートバー選手の食事の誘いを断ったという話は有名になりました。

 

大谷選手にとってはWBC優勝の思い出話をするよりも、目の前の試合、毎日のトレーニングのほうが重要だということですよね。大谷選手にとってはWBCは既に終わったことで、彼は過去には生きていないんですね。

 

野球をしているときの大谷選手は本当に充実しているように見えます。自分のできる最大限のことを全て野球に捧げているようです。大谷選手にとって野球は「仕事」には違いないのですが、私たちが普段使う言葉としての「仕事」とは少し違うような気がします。

 

その昔、私がある仕事を辞めるときに、仕事が順調なのに勿体ないと言ってくれた同僚が居ました。そして、勿体ないと同時に、私の考え方が少し甘い、とも言いました。彼はこう言いました。

 

「自分はサッカーが大好きで休日はサッカーをやっている。わがままな顧客も、叱咤する上司も、そのサッカーをするためのお金を運んできてくれる人達だと思えばいいまでのこと。些細なことではないか。一方で、その大切な収入のために多少の職場の不満を我慢できないのは考えが甘いのではないか?」

 

人によっては、「サッカー」が「社交ダンス」だったり、「家族の生活」だったり、もっと具体的に「子供の進学・教育費」だったりするのでしょうか?

 

彼の考えは、ある意味尤もだと思いましたが、どこか微妙な違和感があったのを覚えています。

 

この気持ちを言葉だけで説明するのは難しいですね。

 

仕事に対する考え方はもちろん、「仕事」という言葉の定義すらも急速に変わっていくのが今の世の中のような気がします。昭和、平成世代では大きく異なりますし、まして令和世代では全く違ったものになっているでしょう。

 

そもそも、今の仕事の大半はAIやロボットに置き換わります。そんな時代は、私たちが思っている以上に早くやってくるでしょう。

 

ありあまる時間で、あなたはやっぱり大好きな社交ダンスを踊るのでしょうか?

 

いや、そうなると案外…。