助産師ドゥーラ いし井とも美です。
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ここのところ(いや、結構前から)
自分の中でうっすら(本当は、うっすらでもない)気付いていたのですが
私は、みとめてほしい!!!
ということでした。
何か特別なことをしないと、きちんとできていないと、
そして自分のことより誰かのために、を優先にしないと、
自分には価値がない、認めてもらえない。
独りになってしまう。放っておかれてしまう。
誰も気にかけてくれなくなるーーーー…等々思っていました。
けれど、がんばってもがんばっても「満たされない感」があったのです。
だからもっともっと次々にいろいろなことにトライをしました。
みとめてもらうためには、もっとやらないと、と。
本当はやりたくないし興味がなくても
ここで踏ん張れば、みとめてくれるかもしれない!と他人標準でいたような…。
「孤独感」を味わいたくないからーーーー。
「誰かにみとめてほしいので」という本当の気持ちを隠していました。
恰好よく「誰かのために」と表向きはやっていました。
動機が、一番最初に私が「それをしていて」楽しいので、うれしいので、というのではなくて。
やっていれば、誰かのお役にたてるので。
みたいな…。
けれど、そうなんですよ。
私は、みとめてほしい!
それが本当の本当の欲求。
ようやく自分でもその気持ちをみとめてOK、と思ったんです。
そんな自分は最も恥ずかしいことだと思っていたのです。
誰かにみとめてもらうことを表に出すことは「恥」である。と。
さ、気づいたので…。
次どうしよう?^^
とりあえずは、
私は、みとめてほしかった!
をみとめられて良かったです!!
またここで気付く。
私「を」、みとめてほしかった。
ではなく
私「は」、みとめてほしかった。
と無意識に打っているんですよ。
分析するのが好きな私は
「を」ではなく「は」を選択しているのはなんでだろう?
とか思いました。
さぁ、向き合おう…^^自分自身と。