大涌谷→
【箱根町】 →沼津市内
ここで有名な【箱根八里(はこねはちり)】についておさらいをして見よう。(1)では、箱根八里は一体何処から何処までを指すのか?旧東海道で小田原宿から箱根宿までの四里と箱根宿から三島宿までの四里をあわせたもの。東海道では、大井川とともに難所として知られていた。結構長い距離の総称です。
これは歌川広重『箱根(湖水図)』です。
箱根が如何に難所であるか見事に表現しています。
(2)馬子唄でも有名な箱根八里。箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とうたわれる。
それよりも凄い難所が大井川では無く、色んな規制で渡れなかったという方が正しいでしょう。
(3)小学校唱歌にも成った箱根八里。鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲で皆が知っている。
---------------------歌詞第一章 始め-------------------- 箱根の山は、天下の嶮
函谷關(かんこくかん)も ものならず
萬丈の山、千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)へ、後方(しりへ)にささふ
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼猶闇(ひるなほくら)き杉の並木
羊腸の小徑は苔滑らか
一夫關に当たるや、萬夫も開くなし
天下に旅する剛氣の武士(もののふ)
大刀腰に足駄がけ
八里の碞根(いはね)踏みならす、
かくこそありしか、往時の武士
--------------------歌詞(1) 昔の箱根 終わり-------------------
なんか凄いんだなと感じですが、いまいち理解不足です。言葉の意味を知らなければ箱根八里の凄さが分かりません。
そこで、調べて見ました。
・函谷関:洛陽の東にあり、後漢武帝の時代に楼蘭将軍の楊什が建てた。
三国志の中でも決戦の舞台に出てきます。
谷の深く険しいところにあり、関壇の高さは9m、南北25m、東西20mある。
壇の上には二層建ての楼閣があり、壇の下には幅4m、高さ7mの通路がある。
ここは洛陽から長安に向かう古代の重要な通路だった。
それにしても凄い偉容な関所だ。
・万丈の山 千仞の谷仞は中国の尺貫法の単位で高さ、深さを表し、5尺とか8尺と諸説あるらしい。一尺は約33cm
千仞=5尺x33cmx1000
=1.65K,m
そんな訳無いので:山は非常に高く、谷は非常に深いと言った、誇張表現か?
・蜀の桟道:桟道とは、絶壁に穴を穿ち、そこに丸太を差し込み、その上に板を渡したもの。
三国志の舞台にも登場する。劉備が建国した蜀は、魏と戦うため孔明の指揮の下、何度となく桟道を伝って進軍し、魏軍を悩ませた。蜀の都は成都。現在の四川省の一体が蜀だった。
後漢時代には、この地方の交通の不便は言語に絶するものがあった。
北方の陜西省へ出るには有名な剣閣の山路を越えねばならず、南は巴山山脈にさえぎられ、関中に出る四道、蜀へ通ずる三道も、険峻たる谷あいに橋梁をかけ、蔦葛の岩根を掴み、わずかに人馬の通れる程度だった。
四川大地震が起きたときもこの辺一体は大きな影響を受けたといわれる。・一夫関に当るや万夫も開くなし:意味は、一人の兵士が関所を守れば、一万人が攻め寄せても破られない、守りの堅いことをいう。
これだけ理解出来れば詩全体の意味も理解できそうです。
しかし、不思議ですね。江戸時代前には尾根を通る道があったようなのに何故わざわざ足場の悪い谷沿いの道を通るようになったのか。どんな目的でコースを変更したのでしょうね。-------------------------------------------------------------------