「母の恋文」~谷川俊太郎さんの母多喜子さん | コンサートホールのお話など

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とある冊子で、『詩人 谷川俊太郎さんを育てた母 谷川(長田)多喜子』と題し、エッセイが掲載されていました。坂本清音さん(大学教授)による記事です。


谷川俊太郎さんのお母様(1897~1984)のことについては、何も知らなかった私。素敵なお話キラキラですので少しご紹介をと思います。


京都で、代議士の娘として裕福な家庭に生まれ育った多喜子さんは、女学校普通学部3年生の時には、保護者会でピアノの独奏piano+.を披露する腕前で、後に上の専門学部英文科3年になると、普通学部と専門学部の寮生を集めて聖歌隊を結成、指導もしたということです。


卒業後、東京の音楽学校(現・東京藝術大学)に進学したものの、学部内に音楽部があったこれまでの学校との体質の違いに違和感を覚え、中退。


専門学部卒業前には、英文のエッセイayaを投稿し、「女性が古い習慣から解放されて、男子と同等の教育を受けること、教育を通して真の能力を身につけることの必要」を説いているとあります。


筆者は「女性のリーダーシップ、女性の解放を願う気持ち」が「哲学者の夫、谷川徹三と大恋愛の末に築いた家庭の中で、どれくらい活かされたかはわからない」としながらも、「彼女の音楽的才能とリベラルな考え方は異色の詩人 谷川俊太郎を生み出すにあたり不可欠の要素となったことは間違いない。」と書いておられます。


徹三と多喜子は結婚前に多くの恋文メールを交わしており、息子 谷川俊太郎氏の手により『母の恋文』(新潮社 1994年)としてまとめらているそうです。


多喜子が徹三に宛てた手紙には「あさから(あなたをおもって)、何も手につかないので・・」「第一に想ふはあなたです。」など、熱い気持ちが綴られていると紹介されていますキラハート


一度読んでみたくなりました。読む前から泣けてきそうです。かの長谷川俊太郎さんのお母様もピアノ、音楽を愛されていたのですね。もし藝大を卒業されていたら、音楽家として名を馳せていらっしゃったのかもしれないのですね!


明治~昭和初期にかけての女性の生き方は興味深いところです。芯が強くて聡明で内面から輝く美しい女性が多かったですね。母親としても立派で。いつも自分のどこかにその頃の女性に憧れる気持ちがあります。


興味を持たれた方はご覧になってくださいませ本