コンサートホールで仕事をしていると、次々と公演があるので、私の記憶が確かであれば…とお断りを入れておきたいのですが確か、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のことだったと思います
あいにく、私自身が見ることは出来なかったのですが大ベテランの先輩が、心温まる話として、ミーティングの時に「今日はね…。毎回そうなのよ。チャンスがあったら見てみてね!」と教えて下さった話です。
本番を迎える頃、ステージの裏側辺りには、団員さんたちがスタンバイし始めますが、楽器ケースごと持って行く方も多く見られるそうです。その、楽器ケースの上などに、帰りを待っている家族の写真や、きっとプレゼントされたのでしょか、ぬいぐるみなど、それぞれに思い入れのあるものを可愛らしく並べて置いて飾っているもので一杯なのだそうです本当に思わず微笑みたくなる様子だそうです
多分、他の楽団では、そのようなことはしていないはずです。自分達の本番が上手くいくようにという気持ちなのでしょうか、遠く離れているけれど、聴いていてね。あるいは見守っていてね。今日も私は気持ちを込めて演奏するからね。待っててね。離れているけれど、聴いてね。そんな感じなのでしょうかそこにはとても温かな祈りに満ちた「想い」を感じます
私の好きな海外のオーケストラといえば、甲乙つけ難いくらいに素敵なオーケストラが幾つも思い浮かぶのに、そして古くからファンのオーケストラもあるのに、何故か決まって「コンセルトヘボウ」と真っ先に思い浮かんでしまうのは、こんな所にワケがあったのかと、今更ながらこれを書きつつ納得がいきました。それはやはり、言葉では言い表せないようなぬくもりを感じる演奏と、会場の雰囲気が今でも忘れられないのですこういう場合は、「何色」とは言えないのですが、オーラのような色を「感じる」ことさえあります。この場合はそれは優しいオレンジっぽい光のイメージでした
格で言えば、あまり変わらないオーケストラを比べる時、○○フィルが、私には何故か冷静というよりは冷たく感じたと思えば、後で実は新しく就任した指揮者と団員の間に摩擦があるという話を聞いたり、エネルギッシュで楽しいと思った演奏の○○フィルの団員さんたちは楽屋辺りでもやはりそんな雰囲気を発散させていたり。
単純に○○フィルが好き、嫌いという評価に繋げてはならないなと思いましたあくまで、その日の皆が持っている「気」が織りなす演奏の印象ということも忘れてはならないなとその日の演奏は、好き、嫌いと。
何回聴いてもやはり好きでないものは、やはり本当に好みとは違うのでしょうし、もしかしたら無意識にそんな自分とは合わない「気」(波長)を感じ取っているのかもしれませんね
その日その時のメンバーの、ひいてはオーケストラとしての”現在”の生の「気」のようなものが、イコール音楽に表れている証拠だと思いますこのことは、指揮者や解釈や、技術といったことの外の話です相性のよい指揮者と結束していることもあれば、不仲な時代も、色々あるわけで、それをカバーするのが伝統という信頼感であったり、個々の確かな技術なのだろうと思います結果的には、そうやってバランスを取りつつ、定評のあるオーケストラとしてどんな時代もくぐり抜けて「生きて」いるのでしょう
「舞台は生もの!いつ何が起こるかわからない。そして、音楽や、それを織りなす人の力は、サムシング・グレートと直結している」と、私は常に密かに思ってきました
オーケストラという大きな楽器。不思議な力。ステージだけ見ていても、わからないけれど、感じ取ることはできる「何か」
あれっ、これってもしかして、別のテーマ「感動の元は一体何か考える」にもなってしまっているかもです善いものは善いと感じる由縁かもしれませんね