嬉しかった。


「言っていることがその場でわかる」。


6/1、戸田市民文化会館でのワンマンショー。かなり近い前ベイベーだったので、みっちーさんがなにを言っているか、私の視界に入ってきた時は口形でそれがわかる。


オペラグラスではどうしてなのか、なかなかわからなくて本当にがっかりしていたしもどかしくて、どうしようと焦っていた。


「同じ時間に同じ場所に居て、みんなが笑っている時になにもリアクションできずに苦笑い」、それでいい、ここだけは。みっちーさんのエンタメだけはそれで、別に卑屈にでもなく、本当にそれで良かった。映像記憶しっかり保持して帰る。そのあとで、あちこちから得られた言葉を、記憶している様子に当て嵌めていた。


わかる、のには時差、日差。それでいい。


音楽が始まれば、そこで私は活きるから。


MCと、メロディーが始まってから、とで真っ二つになる、わかる/わからない。


これがわたしなのよね、と。


でも。


嬉しかったな。6/1の戸田、みっちーさんが視界に入れば、なにを言っているか肉眼で見えるからその場で…言葉の送受信がみんなとおんなじタイミングでわかる…。


握手会の時の2列目、がこれまでで一番「口形が見えればわかる」体験だった。この日の次に、わかる。


すごくすごく嬉しくて、初めてのことみたいに嬉しくて。


(実際、ワンマンやゆくくるでここまでMCをキャッチできたことはなく、初めての経験)


この話を聞いてくれた先輩ベイベーさんが喜んでくださったこともありがたく、その折にあった、いつも淋しい思いしてたのね、の言葉に、つい止まらなくなってしまっていた、涙ぐむ、くらいでは済まなくて。


ネガティブ、にカテゴライズされがちな語句や表現で、自分はおろか他人の気を引くのは大嫌いなので、そういった流れにはなりたくないのだけれども。


その場でわからない、もちろん淋しいし悲しいし、何よりコーレスに応えられない居心地の悪さには、どんなにふてぶてしく(?)いようとしたって縮む想いしか、正直しない。


でも、ここを大きくしてほかを霞めたくない。みっちーさんたちの音楽が生で聴けることが嬉しくて愉しいから、快を薄れさせたくない。


けれども、気持ちをすくい取ってくださったひとことに、救われたな。それだけでいい、充分ってほんとだな。


…………

少しだけ



去年のミチクリでは、遠めの席だったのでどうしてもみっちーさんの口形は見えず分からなかった。ふと、お金のこと…やっぱりよぎった。申し込む前からさんざん考えに考えてきたことだけれど、やはり淀む。


料金を支払って享受できるものの、自分が選んだ情報獲得の手段について、これまでも熟考を重ねて最適解を選んで来ているつもりだけれど(私一人の力ではなく、ありがたい繋がりが多く、本当に感謝してる…)、FC限定のイベントという性質上のこと、への想いはあの握手会でまた考えることがどんどん多くなってきては、いる…。


………


6/1に戻そう。


たくさん、わかったよ。

マイクで隠れなかった、口の動きで。


みっちーさん語録にあったものが多かった中に、ラストに来た「もう8時半」がわかった時、ふいになんだか身体中、今までにない感覚が流れたのよね。


ちょっと置いておいた日常への充電が終わること、その日常の時間は同じ軸線にあること…は当たり前で、これ以外になんかたくさん。


自分にびっくりした。8時半、読み間違ってない確信があったこと以上に、こんなの読み取れるんだ私、、、みたいな、そんな感覚。


神サマお願い前のMC、目があった。

みっちーさんと目が合う時って、隣じゃない前や後ろじゃない、私だってはっきりと分かるものだ、と、私も思う。


無理にポジティブにならなくていい、頷けば良かったなとすぐあとで思った。


だからだろう、曲の途中でこみ上げてきた。


重ねていきたいな。みっちーさんのステージを生で体感できる経験を。