主人公 私A
旦那 Y
義父 J (借金王)
義妹 K(いびりの女王)
元妻 B(厄介な人)

義父J 使途不明の借金を作る 約3000万(多分女と酒がほとんど)
自営業であった為、発覚時に旦那Yが肩代わりをして、経営権を変更する。旦那yが長になる。
元妻Bは会計事務所に勤務する事から、肩代わり等の事務一切を行う。が、この時すでに離婚を計画。(後にJやこの家に対して恨みと呪いの言葉の書かれた手帳がJが私Aに見せるかのように出してくる。というか、jが持っていた事自体不気味)
後に離婚

私Aとはその後知り合う。
毎月20万以上の返済はあるものの、収入はそれ以上にあり、返済も半分は終わってるとの事。また、義父Jは仕事以外にアルバイトを掛け持ちしているとの事で、返済に対して真摯に向き合っていると思い、結婚を決意。

しかし、蓋を開けてみると実情は違っていた。

Jは遊ぶ金欲しさにアルバイトし、年金も丸々自分の懐に。しかし、借金して遊んでた頃の羽振りの良さと比べたらお金は少ないので口癖はいつも「金がない」
お金が足りなくなると、お店のお金を持ち出始末。
バイクや車も買い、ローンの保証人に旦那Yの実印を持ち出す。
もちろん食費等は一切払わず。
ただの貧乏神

義妹Kは何度も結婚歴があり、前の旦那の子供が手がつけれなくなったと言ってウチに住まわせる。現旦那の息子は放置子状態で、勝手に入ってきては何度も夕飯の食べ物を勝手に食い散らかされ、その結果おかずが少ないとjから文句を言われる。
ともかく、義妹Kは私Aをいじめるのが好き。
旦那Yのいなくなるのを見計らって、ネチネチとした事を言ってくる。例えば子供がなかなかできない私達に向かって、子供のできない女が出来損ないよね〜あぁでも良かったよね〜お兄ちゃんには子供いるから(前妻との間に)後継はいるからね〜と事あるごとに言ってくる
金や手は出さないくせに、盛大に口は出すという典型例
急に店出したいから、家の半分の権利と金を寄越せと言い出す。
それに対してjも、Kには残してやりたいからそうしろと言い出す。

借金だけ背負わされて、財産寄越せとは何事か!!と怒り心頭した私達夫婦は、色々相談に出かけ、弁護士の無料相談には門前払い状態等あったが、最終的にマイナス財産を生前相続するのだから、プラスの財産も生前相続し、相殺するという事。しかし、プラスマイナスで考えると、まだマイナスで相続した額の方が多い。
なので、今後Jが亡くなった際に権利の主張してきた場合はマイナス財産を相続してもらう予定。

ちなみに、家の権利の生前相続をした際に、Jが重ねた借金の過払金請求をしようとしたところ、時効が3か月過ぎていた。前妻Bは過払金請求をしていなかったのだ。
その事実を知った時、この一族、破滅すればいい と書いてあったBの手帳を思い出した。

現在は、Jは施設へ入所。Kとは連絡は一切取らず。たぶんJがなくなった時に連絡するくらいだろう。
まあエピソードは他にもてんこ盛りだけど、あらずじはこんな感じ。

ちなみに私たちは念願の子供を授かり、残る借金を返済しながらではあるが、慎ましやかに幸せに生活している。…と思うw

私達の不穏な空気を察したのか、子供たちもなんとなく落ち着かなかった。

なので、近所のプールへ連れて行き、30分程度遊ばせた後、スーパーでお昼を買って妹宅で皆で食べた。

母から連絡ないので、自宅の方へ連絡してみようという事になった。
帰っていれば出るだろうし、帰っていなければ出る事もない。
で、かけてみると帰宅していて電話に出た。

母の話だと、救急車内でサチュレーションは90を切っていた。夜中は相当苦しかったようで、何度も母を起こしたようだ。
明け方、突然、父は「ありがとうな」と2回言ったそうだ。
私はこの事が心にズシーンとくる感覚を覚えた。

母は「縁起でもない」と言っていた。後になって考えると、この話をしている時の母は、凄いハイテンションだった。
きっとで色んな気を張り詰めていたり、心配もあったりしたのだろう。

ちょうど、父を診察した医師からは、帰宅していいと言われたそうだ。母も持病があるし、妹②も障害がある。
家では無理だ、自分達も感染していたらどうにもならない。と言うと、感染期間が被らないといいですね〜と無責任な事を言ったそうだ。

そのすぐ後、当直から日勤帯へ変わる時間で、担当の医師も変わった。
この事が父の更なる強運であり、命が救われた事だと思う。
日勤帯の医師は、すぐに入院しましょうと仰り、入院の手続きになったそうだ。
この時、母は濃厚接触者確定。なので、別室へ隔離され、説明を受けたそうだ。その間に、父は病棟に移るという報告だけ受け、結局会う事はできなかった。
これがもし濃厚接触者でなければ、病棟まで行く事ができたそうだ。
なんだかよくわからない仕組みだけど、そういう事らしい。

普通なら、入院の手続きたら、持ち物やらでてんやわんやになるはずの入院だが、今回は特に大きな説明もなく、帰っていいですよ〜で母は解放されたのだ。

病院から自宅まで、極力の接触を回避しながら家に帰ってきた母は、昼過ぎ、やっと食事をとったそうだ。父が食べるはずだった食事をとったと言っていた。

少し休んで、自分が陽性になった時に備えて買い物に行くと言っていたのだが、救急車の一件での疲れを考慮して、代わりに買い物に行ってきた。

私自身も6月に感染していた事から、食欲が落ちる事、何もできなくなる事は経験済みだったので、それに合わせた傾向の物を持って行った。

あと、ご飯を大量に炊いて、一食分ずつ小分け冷凍にしたのが助かったので、それも元気なうちに作るよう助言した。

また、少し回復した時に、シャーベット系のアイスも助かった。

ともかく思いつく限りのものを持って、玄関先に置いてきた。
置いといたよと電話すると、母が玄関から出てきたのを遠目で確認した。元気そうだったので、ひとまずはホッとした。
父が入院して数日が経過しました。
その間も経過は忘れていくものですね。

さて、父が陽性と分かって…
私と娘は、妹①の家で待機していました。
救急搬送されて、帰宅or母だけ帰宅になった場合、迎えに行く必要があったり、父が入院となった場合、荷物を持っていく必要があると思っていたからです。

実は、父が搬送される前日、父と同居の妹②と私達兄弟と子供達は出掛けて遊んでいます。
つまり、妹①と私達は濃厚接触者ではないにせよ、感染の可能性があるわけです。

なので、感染が分かった時も、お互い準濃厚接触者だね…とあまり動揺は無かったです。


ここまで考えた時、コロナに感染しても、救急車がすぐに来てくれて、発熱があったにも関わらず、これまたすぐに受け入れ病院が見つかり、救急車を呼んで1時間少しで診察が受けられた事は、強運だ!守られてる!絶対大丈夫だ!!と感じました。

11時頃、母から入院の方向で進んでいますと連絡が入りました。
今入院すると、どんな状態で退院できるのか…会う事もできないじゃないのか?色々な思いが交錯しました。

それでも、これだけの強運、きっと大丈夫と自分に言い聞かせました。