スカート履かずに





前回の続き

こんにちは


前回の続きです。


私はというと


のんびり天然ちゃんでした


兄に茶化されると、マジ切れで

よく「きかん坊赤ん坊」

などと言われてました。


でも、誰でも自分の時間を奪われたり

遊んでる所を邪魔されたら


誰だって

きかなくなります。


自分の本質って

こんな所も本質だよね。


もくもくとシルバニアとか着せ替えをやるのが好きなんです。


友達も特定の人しかいなかったし


人の輪の中にグイグイ入ってくタイプでもなかった。


幼稚園では、体がでかいのに

お雛様の雛壇の一番上とかに

座らされ

断が壊れるんじゃないかと

思ってヒヤヒヤしていた


幼稚園の時のお弁当が楽しみで


お母さんが銀のお弁当箱に

レトルトのハンバーグを入れてくれてて

それが楽しみだった



 



晩御飯とかでは

魚の黒い血の固まりの所とか好きで

※鉄分多いらしい



そこだけ食べてたり


お煎餅も縦から食べるとか

ちょっと変わった子だったが




子供ってそもそも変わってると思います。

というか魂で動いてるから

というか本能で動いてるから。



大人から見ると変わってるかも




父方の祖母がベーチェツト病という

難病になってた事があって

その体質が似たのか


私も口内炎には本当に苦労させられた。


大人になった今でも疲れた時や

インスタント食べた時に一個とか出来たりします。


幼い時は、食べ物も食べれないくらいだったのに


お父さんが「治るから」と

口内炎に塩を塗られた時があって



ぎゃん泣きした記憶がある。



※何故そんなことをしたのか本当にわからないが、それっきりだったように思う。


途中、文の終わりのですます語がごちゃごちゃになっていて読みにくかったらすいません


今、お父さんは健在で

違う地域に1人で住んでいるが


昔の事を聞くのは怖くて聞けないでいる



幼稚園では、体の大きい女の先生で


男の子達からおっぱいとか揉まれてて

可哀想だった


今の私なら一発叩いてるかも(笑)


その光景を見た時から、その男子と話せなくなった。



マンションの清掃に行くお母さんに

自転車の後ろに乗せられ

付いて行った事があって


マンションの前に自転車を停めた瞬間、そのまま横に倒れて、私だけ擦り傷したことがあって


幼さ心に

「おーい、倒れるのわかるでしょ」

と思っていた。



マンションに付くと

共用部しかしないのだが

廊下は暗かった


私にも手伝いをと

ホウキを持たされ

掃きそうじを教えてもらっていた



たまに住人に会うと

「こうやるんだよ」と

優しく教えてくれるひともいた。



だから

今では階段の掃き掃除はとても綺麗に出来る。


親って

子供に教えてなんぼ。

なんだなと思う。



そうやって

自立への道が通っていく気がする。



私が、小学校入学の時は

ランドセルは、母方の祖母から買ってもらい※真っ赤の


ルンルンだった。


早く勉強したかった私は

入学が待ち遠しかった。


そんな入学式の時


お父さんは、仕事だったように思う。


母方の祖母が

着なれた着物姿でうちにきて

時間まで待っていたその時


お父さんが、車で

家に寄ってくれて

なんと

その片手には


子犬を持っていた!



私が常日頃「犬欲しい犬欲しい」と

言っていたのを

きちんと聞いていてくれたのか



「ほら、入学おめでとう」

と言ったのだ。



日々、構ってもくれないお父さん

飲んだくれて家でゲロるお父さん

構ってーと背中に近づくと「髪型が崩れるだろ」とはねのけるお父さん



が。



生れたてばかりのその子犬は

「ロン」と名付けられる事になった



今で言う

ペットショップとかで購入したのではない


会社の同僚の所でたまたま

生れたてのだそうだ。



それから

毎日帰宅が楽しみで

走って帰ってきた。


そして

散歩係りは私になり


少し大きくなってから

近くの公園まで散歩に行くのだが



嬉しすぎて

自分のスカートを履くのを忘れ



上のみ着て



身軽で散歩に行くのだった( ̄∇ ̄*)ゞ



近所のお兄ちゃんに

ジーット見られたのは言うまでもない。