7月28日に「あと2,3ヶ月」と言われ、

9月17日に「あと1ヶ月と聞いてます」と言われた母。


1か月前にステントの手術を受けました。
弱気になっていたものの、回復し、隣県に旅行に行くまでになっていました。


しかし、先々週、4日ほど寝たきりの日々が続き、
病院に行ってみたら「しんどそうだね。入院しようか」と。

そこから入院になり、4日間お世話になりました。


そこで「もう点滴で栄養が取れない状態」と聞き、
それってもうほぼ終わりってことじゃ?と焦った私は慌てて帰国、
母は私の帰国に合わせて外泊許可を取り、
そのまま退院を希望していました。


それを聞いた私は「あ、なんだ、退院できるのか」と思っていたのですが、
それはとんでもない暴走と誤解で、
病院側は((((;゚Д゚))))とビビっていたようです。

この状況で退院とかないだろ!と。


病院のソーシャルワーカーさんが慌てて
「明日カウンセリングしましょう!」と私を捕まえ、

私は何のためにカウンセリングするのかもわからずカウンセリングしたら


在宅看護のための窓口を次々紹介してくれ、


在宅の介護用ベッドを用意してくれ、

訪問診療のホームドクター、
訪問看護の看護師、
ケアマネージャー

を手配してくれました。


え、え、え、
退院する=在宅看護 というつもりではまったくなかったんだけど、
周囲はそう受け取ったんだ・・・

というか、それほどまでに危機的な状況だったんですね(´Д`;)
本人たちは気づいていませんでしたよ。


事実そのとおり、

退院してきた日はご飯もバッチリ食べ、
意識もはっきりしてよくおしゃべりし、
階段も一人で登っていた母は


退院の翌日には


水を飲もうとしてもコップを持っているかどうかがわからず、

コップをどうやってもっていいものかわからず、

ドアをどうやって開けたらいいかわからず、

トイレに行こうとして失敗して垂れ流しながら歩き、

いや、その日の終わりにはもう一人で歩くことすらできなくなり、

少し目を離したら、下着を抜いで裸で倒れていたりしました。



体の自由が利かなくなっていました。



こんな状態の人間に恨み言を言っても仕方がありません。
いや、「恨み言も言わせてくれないなんて卑怯だよ」と、恨み言の一つもでるかな。


苦しんでいる人間を目の前にして、ほっておくことができる人は、なかなかの才能の持ち主だと思います。


こうやってここまで母が弱くなって、

やっと、

母のために哉しめない自分が苦しくて泣くのではなく、

母が気の毒で泣いているように思えます。


そうですね・・・
それは今までも少しはしていたかな。

未だに、母がいなくなることが悲しくて泣く ということはしていないけど、

少なくとも、母のために泣けていることは、健全で、
歪んでいない素直な感情で介護することができています。

介護しなきゃ、垂れ流されるし(;´∀`)

こうなってみると、母のとんちんかんぶりも、笑えるかわいいものだし。


ここからは普通の癌ブログになるかもしれません。
死にゆく人に、できるだけ苦しくない、楽しい思いをさせてあげたいと思います。