普通の家庭で育った同級生にとって、
お弁当の日というのは、楽しみという人が多い行事ですね。
でも、私のような毒親の元で育った人にとって、
お弁当の日は大嫌いだったという人、多いんじゃないかと思います。
毒親の中でも特に、
・家事をまともにやってもらえない環境
・ネグレクトという育児放棄をされているような環境
こういう環境で育った人にとって、
お弁当の日と言うのは最低最悪の日だったことでしょう。
・・・私の家もそうでした。
母は全く料理が出来ない人でしたので、
もう最初からお弁当を作る気もなかったんです。
一度だけ作ってくれたことがありましたが、
長くなってしまいますので、また別の日に、記事にすることにしますね。
基本的には朝にコンビニ弁当を買いに行くというのが、
私の家では日常になっていました。
幸いなことに父が車を出してくれたので、
お弁当の日になる度に朝少し早起きをして、
父を起こしてコンビニに連れて行ってもらうという流れでしたね。
別に、母がお弁当を作ってくれなかったことが嫌だったわけではありません。
料理を作らないのは物心がついた時からでしたし、
あまりにも日常的すぎて、その点に関して違和感すらありませんでした。
他にも、朝に早起きをするのが嫌だったわけでも、
父を起こすのが嫌だったわけでもありません。
学校に行ってから、
同級生と一緒にお弁当を食べるのが辛かったんです。
同級生の子が持って生きているお弁当は、
どれも手作りで色鮮やかで、子供が好きなモノばかりが入っていました。
唐揚げだったりハンバーグだったり、
アニメキャラクターのふりかけが入っていたり。
・・・かたや、私はコンビニ弁当です。
同級生の前に出すのが恥ずかしかった。
「どうして?」という純粋な疑問さえ辛かった。
「どうして?」という質問は私がしたかった質問です。
「どうして私の家だけコンビニ弁当なの?」って思ってました。
でも、私はそんなことをいうことも出来ず、
恥ずかしさ、劣等感、それで頭がいっぱいになってしまっていました。
とはいえ、まだ幼かった私には、
そんな気持ちをどうやって表現したらいいのか分かリませんでした。
ただ何も言えず、唇を噛みしめるばかりでした。
最近では、共働きの家庭が増えてきて、
子供にコンビニ弁当を持たせる家が実は増えてきているんだとか。
世間では、親が忙してくも、
子供にコンビニ弁当をもたせる親というのは、
「モンスターペアレント」と言われるようです。
じゃあ、外に働きに出てもいなかったのに、
作ってもくれなかった私の親は?なんと呼べばいいの?
こんな皮肉が頭を過るほどに、
私のなかでは、心がざわつく話題でした。
・・・・まぁ、毒親と呼ぶのが本当に一番しっくりきますよね。
ここで私が言いたいのは何も、
「どんなに忙しくても、お弁当は手作りするべきだ」
こんなことじゃないんです。
どんなに忙しくたって、
コンビニ弁当を買いにいける時間があるなら、
あとちょっと詰め替えるくらいの時間もあるんじゃないの?ってことです。
子どもの世界っていうのは、大人以上に狭いものなんです。
その狭い世界しか、認識ができないんです。
学校というその狭い世界では、
お弁当がお弁当箱でない、ただそれだけのことで、
他の同級生から好奇の目が向けられることがあるってことなんです。
・・・このブログがどれだけの人に届くかなんてわかりません。
でも、もし自分の子供にコンビニ弁当をそのまま持たせている、
そんな親御さんがいたら、あと一手間。
お弁当箱に詰め替えるあと一手間、
その一手間があるだけで、子供が救われるか。
そんなことを考えてもらえるきっかけになってもらえれば、ですね。
