朝、出発しようとする私に向かって、娘が何度も窓から呼びかけてくる。
「気を付けてね」「何時に帰ってくる」「こっちのことは心配しなくて大丈夫」
小さな顔が窓に張りつくたびに、胸の奥がふわりとあたたかくなる。
けれど、その穏やかさは夕方にはすっかり消えていた。
合宿から帰ってきた息子が疲れてグズグズしていると、夫が静かに、しかし確実に陰湿な“しつけ”を始めた。
脇の下を強く押し、痛みで風呂に入らせるというやり方。
怒鳴りもせず、外からは見えないように。
だからこそ、その悪意がいやに際立つ。
痛みを与えても、怒りではなく「冷たさ」で支配しようとする夫。
たちが悪いのは私に対してだけにしてほしい。
そしてそのまま、何事もなかったかのようにリビングを素通りして就寝。
「皆で食べよう」と準備した子どもの日のケーキには、「いらない」とだけ言って、背中を向けた。
子どもたちのための日に、父親が最も子どもらしさを壊してどうするのか。
そんな日だったのに、夜には息子が静かにくっついてきた。
疲れて、眠たくて、でも母にはぴたっと寄ってくるその甘え方に、私は救われる。
今日もひとつ、母であることの意味を、子どもに教えてもらった。