保育園の頃はまだ普通だったのかな〜?
近くの保育園に通い、両親は仕事をしていて
おばあちゃんが送り迎えをしてくれていた。
でも小さい頃から、例えばお茶をこぼしたり何かしようとして失敗した時は
すごい形相で怒られて、それが怖かった。
わざとこぼすわけないのに、
ぼーっとしてるからだの、あんたは鈍臭いんやからだの
何かやらかすたびにグダグダとそう言われて怒られてきた記憶はかなりある。
そして、母親と一緒に公園に行った記憶が一切ない。
多分、連れて行ってもらってないんだと思う。
砂遊びセット持って行ったりしたことなんて一度もない。
なにかプレゼントでもらった砂遊びセットは一度も使わず物置で眠っていた。
保育園の送り迎えも本当に母親との記憶がなくて、仕事でいつも忙しかったんだと思う。
おじいちゃんおばあちゃんと過ごした記憶はすごくある。
お絵描きしたり、お昼寝で寝かしつけしてくれたり
お菓子を食べたりお話ししたり折り紙したり
おもちゃがそんなにない家にも関わらず、長い時間過ごしても何かしら遊んで飽きなかった。
楽しかったなぁ。
小学生の頃はとにかく習い事をたくさんしていた。
何が向いているか、いろいろと試されていたんだと思う。
一つ上の姉は、保育園の頃からお受験用の塾に通っていて
私はそれを付き添いで一緒に行ってた。退屈だった。
たまたま同じように連れてこられた同い年ぐらいの友達がいた日があった。
キッズスペースで一緒に遊んで、あっという間に時間が経つほど楽しかったけど、
その帰り道「今日は悪い子やったな。うるさかったわ。」と怒られた。
兄弟あるあるかもしれないけど、そこに通ったのは結局のところ姉だけで
私は姉が解いたプリントを消しゴムで全て消してまたやらされてた。私と姉で、全く力の入れ方が違った。
でも姉はなぜか小学校受験はせず、小学校の頃から賢いキャラだった。
お陰でわたしは全然勉強もできない、何やっても物分かりが遅い、字を書くのも下手くそ
当時から比較されボロクソに言われていた。
ただ、体育は私の方ができた。走りも早い方でリレーでも毎回選手に選ばれていた。
一度、先生の見間違いのミスでわたしがリレーの選手に選ばれなかった年があり、
何で選ばれへんかったん?と、なぜがボロカスにおこられた。
家でも、姉と2人で私を馬鹿にすることも多かった。
私の絵が下手と言い、姉が
「一年前にはもっと上手やったよね?ね?まま?」
と私の前で言われ、
描いた絵もノートも比較され、
あからさまに姉の方が上手い絵を指して
「ママわ!これどっちが上手ー?正直にいってー?」
とたずねたりしていた。
その時は私も一緒に苦笑いしてたけど、笑ってたわけじゃないのに、私は笑ってると思ってたみたいで
そのやり取りは小学生の間はずっとあった。
母に、あんたはパパと仲良いから、道もパパと手繋いで歩き。
とか、パパの方が気が合うやろ?とか言われてた。
何故あんなことを?と思うけど、考えてもよくわからん。
自分の子供がこんな馬鹿やと信じたくなかったのかな?私の存在が恥ずかしかったのかな?
今でもそれは謎やけど、
いまだに姉と2人で私のことを嘲笑ってたのは腹立つし、その光景はいつでも思い出せる。
泣きそうになりながら、堪えてその場で笑ってた自分を思い出して切ない気持ちになる。
笑うしかなかったもん。
泣いたら、ほらすぐ泣くーって言われるんやろーしね。
あの時の気持ちを思い出すたびに、
自分の娘には、絶対そんなことしたくない。こんな気持ちにさせたくない。
そう強く思う。
比べたり、馬鹿にしたり、どっちかを貶してどっちかを褒めるようなことはしたくない。
その子の個性を伸ばしていきたい。
あれだけ褒め上げられてきた姉が今は、、、、だから。
その話はおいおい書きます。
姉は、いつも私よりポジションも上で、物分かりのいい子供だった。
だから母も姉のことを信頼して、こんな娘でよかったと心底思っていたと思う。
私の悪口を母と2人でコソコソ話したり、こんなん言うてたよと告げ口していい子ぶったり、
いつも知らないフリ、聞こえないフリしてアホなフリをするのは私で
そこはすごく敏感になっていってた。
私の方が上手でうまく騙せてたんだろーね。