ブログを始めるにあたり、名前を「私」としました。


初めてこられた方は、きっと私のことを自意識過剰な変な人だと思われた事でしょう。

私自身、中二病か!と、突っ込みを入れていました。




それでも「私」としたのには、理由があります。





最初から、このブログには人には言えない辛い体験を書くつもりでいました。批判覚悟だったので、コメント欄は最初から閉じていました。

そんな非社会的なブログを書くにあたって、同じような境遇の方や、辛く重い心を抱えて生きている方が、このブログを、



自分のことのように読んで欲しい。

自分だけじゃないと思って読んで欲しい。



そう思ったからです。







反対に、虐待や暴力とは無縁の世界で生きてきた人に対しては、このブログをどこか遠くの知らない世界の事ではなく、まるでいつも顔を合わせている知人からの告白のように読んでほしかった。

と言う理由もあります。







虐待は私にとって、つい最近まで日常でした。

今でもハッキリと覚えています。抉られた心の痛み、娘を殴打した手の痛み、怒りに支配された心の苦しさ、娘の悲鳴、絶望の表情。



これらの悲劇は、決して一般的な非日常ではありません。



どこでも、今も身近に起こっている事なのです。



ニュースになるのはごくごく一部のうち、最悪のケースになってしまったほんの一握りでしかありません。

実際、私が殺人未遂にあった時も、私が殺人未遂をした時も、逮捕どころか通報さえされていません。

私たちの経験よりもっとずっと凄惨な事件も環境も、普通にあちこちで存在しています。




それをわかってほしかったのです。






虐待だけではなく、DV、イジメ、パワハラ、セクハラ…全て根底は同じだと思います。


心の闇て

苦しみは同じです。





私の事を特異な一例として捉えないでください。

どこにでもいる、普通の人間です。

普段は悩みなどない善良な市民のような仮面を被って生きています。



現在も不幸に囚われて見えない出口にあがき苦しんでる方もいるでしょう。

孤独な戦いに疲れ果てている方もるでしょう。

でも、顔を上げて周りを見てください。

あなたは1人ではありません。

苦しみを分かち合える人はいます。

助けてくれる人は必ずいます。

1人で苦しまずに、どうか助けを求めてください。人に助けを求める勇気を、どうぞ持ってください。






このブログは、犯罪者が自分を憐れむだけの、気持ち悪くも腹立たしい、不愉快な内容だったと思います。


虐待をやめる事はできましたが、結局娘の心は傷ついたままですし、過去を取り返すことはできません。





ですが、反面教師にしてくれる人が1人でもいてくれる事を願って、批判覚悟で自分の恥も罪も洗いざらい告白したつもりです。








どうか私のようにならないでください。








このブログを書いた事が、きっと見ず知らずの誰かの役に立っていますように。









どうか、たった1人でも一歩踏み出す勇気を持ってくれた人がいますように。










皆様の勇気と幸せと祈りつつ、このブログを終わらせようと思います。










メッセージを下さった方

リプログしてくださった方

いいねをしてくださった方

応援していてくださった方

読んでくださった方




皆様に心から感謝いたします。

どうか皆様が笑顔でいてくだいますように。




今までこのような駄文にお付き合い下さりありがとうございました。