私は、たまたまインフルエンザワクチンで発熱や接種部の発赤腫脹に腕のなんとも言えない怠さなんかがありつつ、義務と自己犠牲本能から数年打ち続け、複数の人が打ってもインフルエンザに係ることを知り、最後の年には接種部に水泡までできて、以降は打っていない。
その後、姪の子宮頚がんワクチンの時期が来て、初めてリスク検索をした。
そして、とても可哀想なことになった少女達のことを知った。
ワクチンのリスクを初めて知ったと言ってもいい。
看護師になってからB型肝炎ワクチンやインフルエンザワクチンを打ったが、打つのが当たり前でリスクのリの字も知らなかった。
自分で調べることもなく、医療を信じていた…無知だったのだ。
それからはワクチン懐疑派かつ恐怖になってしまった。
インフルエンザワクチンは強要されたこともあったが、感染対策委員長に副作用で酷いことになったら責任を持ってくれるのかと聞くと無理…と言われた。
こんな経験をしていなかったら、私も何も疑わず考えずにコロナワクチンを打っていただろう。
コロナワクチンに関しては、何故か打たせることが目的になっているようで、強要されることにも恐怖を感じた。
スタッフの6割強に発熱頭痛他にも今ではちらほら表に出ている副反応が起こったが、治験とキチンと雇い主の医師達は知っているのに何の報告も上げないことにも恐怖を覚えた。
因みに、その医師も接種し「今回のはキツかった」と言いつつ「御上には逆らえない」と接種に邁進していった。
コロナ以降、ニュースを俯瞰して見るようになった。
で、ブログからサーフして色々な情報を知るようになった。
コロナにワクチン、ウクライナ…
全ては繋がっていて、本当のところを知っている人はいて、攻めぎあっている最中なのだろうと思う。
日本が可笑しげな政策を打ち出すことにも下々には知らぬが仏の理由があるのではないか…にっちもさっちも行かなくなっているのではないか…とも思う。
そして、これまで私達は一つの方向に思考を向けるように仕向けられていたのではないかとさえ思えてくる。
グローバル化してスマホで簡単に情報が手に入るようになった。
アメブロでは分かりやすく、見てもらっては困るものは棒状になったり、途中から真っ白になってしまうようだ。
今、私はワクチン非接種であることで多いにつまずき転職が上手く行かず鬱&パニック障害のようになり無職期間の3ヶ月目を迎えた。
なんの因果か母も同じように老人性鬱&パニック障害のようになり妹や甥姪が同居している実家にほとんど泊まりこみ状態である。
母は私の無職を有難いと言う。
この大きな世界のうねりの最中に時間が沢山あり、家族と過ごせる貴重な機会に感謝しながら存分にブログサーフをしよう。
そして、一つの事象を多方面から見る訓練としよう。
かと言って、色々なことを知ることが幸せかと思うかと考えると…仕事で疲れてドラマに癒されていた頃の方が幸せだったとも思う。
医療を離れている今ならコロナ以降出来なかった外食や温泉にも行こうと思えばいけるのだ!とも一瞬、思う。