今、求められてる病院って…

ウチの主任さんの100歳のおばあちゃんが看取り目的で数週間前に入院してきた。

点滴も注入もしないで欲しいと言っていたらしいが、病院であるだけにそうはいかない。
だから、ちょびっと食べながら点滴してる。
病院の体裁を保ちつつの老衰待ち。

先日、腎不全と心不全の91歳のおばあちゃんを透析勧めて総合病院に送る手筈をしたら、直後に娘さんから慌てた様子で『緩和でお願いします。』『送らないで下さい❗』と電話があったらしいが、既に先方の病院が受けてくれていたから、送ってウチの先生の肩の荷は降りた。
が…送り返される可能性をはらんではいる。

何故かここ1ヶ月くらいは高齢の患者さんの家族、特に娘やお嫁さんは安らかな看取りを希望する人が多いように思う。
彼女達はこれまで十分に親に尽くしてきたからなのではないかと思ってしまう。

本来は、病院は看取りの場ではない。
治療の甲斐なく…の延長に看取りがあるのが病院だ。
20年くらい前に『死の臨床』というのに参加した時に医師と看護師の患者の死に対する心境の違いを知った。

医師のトップ3は『敗北感』『悔しい』『後悔』とかだったと記憶している。
対する看護師は『達成感』『安堵感』『穏やかさ』とかだったと記憶している。

これは、職業的に見ているところが違うから仕方ないのだろう。

例えば抗がん剤で患者さんの辛い副作用に神経が行き、苦しみながら治療を受ける人を看る看護師はいくら画像上、癌が小さくなっていても口の中に潰瘍ができて食事もままならない状態になっていれぱ、医師達のように大喜びできない。

そういえば、前に総合病院で循環器のDrの叔母さんが入院してきたことがあった。高齢でそのうちに点滴できる血管がなくなってきた時、先生は点滴を中止して看取りにシフトして私は最後まで関わるこたがなかったが、10日目くらいに静かに永眠されたらしい。

今は、医療の末にある高齢者の穏やかな看取りをできるような病院が求められているのかもしれない。
それは、本来の病院の役割ではないけれど、24時間医師や看護師がいる安心できる施設…昔の社会的入院ができて、穏やかな看取りとができるようなところが求められつつあるように思う。