核家族化の拡大と共に少子化
で、共働きの常套化
家長制度の崩壊
昔が良かったとは思わないが、
多数の家族を見ていると
親も自分も年を取って行くのに…
親を看取る覚悟のない大人が多いと思う。
それも仕方ないことだとも思う。
年を取るということがどういうことか、見ることが少ないから、分からない。
だから、医者が今後の悲観的な話をしようもんなら、責め立てたりする。
そして、無理な医療を要求する。
誰しも亡くることは考えたくないだろ。
でも、等しく訪れる。
私は自分も親も穏やかに逝去して欲しいと思っている。
高齢の患者さんには部屋回りをした時には穏やかに寝ていたのに、次の部屋回りで逝去していたら、穏やかに逝けて良かったねと思って手を握ってあげたい。
家族の人達には自分が後悔しないように、足しげく親と会い、自分は精一杯のことをしたと思えるように頑張って欲しい。
自分がへたるくらい世話をした人は、看取りの覚悟ができているように思う。
私は独身だから、
少しずつ体力が落ちて行ったら、
訪問介護と訪問看護に往診で、
点滴、酸素、モニターも無しで、
訪問の誰かが来た時には逝去していたというのを望んでいる。
そういった看取りをしてくれる医者と出会いたい。
飲み食いできなくなったら、叔父のように枯れるように静かに逝きたい。
母を看取るという大仕事が残っている。
母は自分の希望は言わない。
望むようにしてやりたいと思う。
母より先にバテることがないようにしたいが、こればかりは分からない。