思い起こせば、
看護師を目指したのは
早く家(父)から出たかったから…
父を納得させられて、かつ、金銭的負担が少ない物で…
できたら、東京に行きたい。
できたら、日本全国でどこでもできる仕事。
で、思いついたのが看護師だった。

看護学校でも辞めたくて辞めたくて一睡もできなかった日々もあった。

看護師一年目も辞めたくて、簿記の勉強なんかしたりしてた。
父の他界をきっかけに退職して帰郷した。
好きだった住宅展示場の面接に行ったりもした。
結果、「看護師程の給与は出せないし、主婦の人がいいんだけど…」と不採用。

仕方なく看護師に返り咲いた。
外科だったからか、仕事が楽しくてのめり込んだ。
次の整形も脳外科も面白かった。
自分が若かったこともあるかもしれない。
大方、5年でバーンアウト!を繰り返した。
次の内科で3交代はとにかく必死で業務をこなした。
パニック障害、鬱になり精神科受診デビュー。
それでも辞めたくなくて3年で力尽きた。

次の療養型では先生の秘書的役割ができずキチガイ扱いされたけど、あまりドタバタしない仕事にも慣れて気が付いたら5年くらい勤めてた。

転機がきて、涼さんと知り合った。
仲の良かった5歳くらい先輩の急逝もあって、看護師だけで人生終わりたくないと思った。

で、お店始めた。

お店しながら夜勤専門で整形。
若いナース達と楽しかった。

だけど、いつも看護師するのは怖くて恐ろしくて逃げたいと思いながら一生懸命働いてた。

どこでも急変や看取りはあり神経が疲弊する。

何回も燃え尽きて、萎えて、それでも自分ができることで多少なりと役に立てるであろう看護師に舞い戻ってしまう。

看護師から足を洗いたいと思い続けて、気が付けば29年。
よくやって来れたと思う。
休憩しながらだから、できたのだろう。

これから3年は看護師続けるつもり。
患者さんの状態悪化や急変、自分のミスの可能性、症状の見逃し、対応の遅れや誤った対応のリスク、転倒なんかの偶発的事故とか…怖くて恐ろしいことを考えたらキリがない。
こんな予期不安を払拭しながら、日々をこなして行こう。

3年の義務期間が終わる頃には、笑って仕事できてる可能性もある。

だけど…だけど…
この苦しい仕事を『しなくてもいいよ』と救い出してくれる殿方との出会いも夢想している自分が居る。
そんな人に出会ったら…自分はその人に何がしてあげられるか考えると…落ち込む。