36か37歳で、憧れていた地元で3次救急まで受け持つ唯一の総合病院に転職した。
はっきり言って、始めは全く付いて行けなかった。
そして、パニック障害になった。
心療内科に通いながら、抗不安薬とハルシオンで睡眠調節しながら、頑張った。
お陰で、3ヶ月後くらいか、気が付けば回りの若手が助けてくれるようにもなって、自分も臨時任用から正職員にならないかと声を掛けてもらえるようになった。
だけど、心療内科に通いながら三交代をしていたことを隠していた。
そして、自分自身が綱渡りのような状況で働いていることも気が付いていた。
回りにも受け入れられて毎日のドタバタに激務、不条理なクレーム対応も力を合わせて働ける環境が好きで、出来たら辞めたくなかった。
そんな中、祖父が腎不全状態となり認知症も出始めた。
かつかつ三交代をこなしていた私は、仕事柄、祖父や親戚、母からも頼りというか介護要因として当てにされていたのに、期待される程にはお見舞いも行けず、ようやく行っても明け方帰ってきてから、寝て夕方近くになってお見舞いで休みが終了。
行ったら、居合わせた親戚には「今日は休み? 」と言われ、勝手に『休みなのに、こんな時間か!』と言われているような気がして、自らの神経を齲んで行った。
そんな状況で働いていたら、おまたに出来物ができて持ってた抗生剤飲んでみたけど、タラコ位の膿疱になって、働いてたとこの皮膚で切開する羽目に……😓
更には抗生剤を2種使ったせいか、ある日、下血。
始めて準夜に穴を開けた。
次の日は休みだったから、近くのクリック受診して、大腸カメラしてもらった。
止血していた。
義膜性腸炎だった。
臨時任用だったから、次の更新はしてもいいか聞かれた。
もう、限界だと思った。
辞めたくなかった。
任期満了まで働いて退職した。
開いてくれた送別会で恥ずかし気もなく号泣してしまった。
「忙しいのに、辞めて本当に申し訳ない」
「付いていけるなら、辞めたくないけど、体力地力とも限界」
「これまで、本当にありがとうございました。」
みたいな事を言いながら、号泣だった。
回りの参加してくれた人や師長さんも泣いていた。
退職後の記憶は曖昧で、欠落しているところも多い。
そこから、再就職してからも日勤前はハルシオン依存だった。
あの『睡眠を取って行かないと働けない』という不安から逃れられなかった。
先日、ハルシオンを連用していたら、効きにくくなっていりことに気が付いた。
これでは、いざ!って時に使えない。
で、早寝早起きは諦めるかとにしてみた。
朝6時に寝て9時に無理矢理起きた。
眠たくなる時間もあったけど、家族の賑わいも助けとなって睡魔に負けず夜を迎えられた。
なんとなく、睡眠時間が長くなくても大丈夫なんだと変な自信が蘇ってきた。
そうだった❗
私は夜型人間❗
明け方寝て睡眠2~3時間でも昼間は働けていたんだった❗
寝なきゃ駄目呪縛から、解き放たれよう❗