子供の頃から手伝いで稼いだお金が小遣いだった。
親の経済状況を考えて月に一万以下の学費で寮のある看護学校を受けた。
受かると思っていなかったから、住み込みでお給料もらいながらの准看の学校受験も算段してた。
あまり経済的負担をかけず、手に職を得た。
自分にとっては看護師の仕事は緊張と体力消耗との限界の戦いであった。
ミスが他人の健康被害や運が悪ければ命とり。
いつも、『私から患者をお守り下さい』と祈っては仕事して、無事に終われば『神様、患者さん、無事に終わらせてくれてありがとう』とつぶやきながら、燃え尽きて休職を挟みつつ、パニック障害になったり、認知症のご老人やその家族からの攻撃で心を病みつつも、なんとか職務をこなしている。
中には、えらく感謝してくれた患者、家族もいる。
自死を望んだこともあったけど、48歳の今まで、よく頑張ってきたものだと思う。
遮二無二に、ひたすら看護師として落ちては這い上がり、稼いで生活して家族にも友達にも鬱で引きこもってしまった姿も見せず…
どうして、苦しみながらも看護師をするのか、せざるをえないのか、これもまた、自分の選択なのではあるが、ここまでよく頑張ってきたと思う。
偉いぞ❗ 私❗
これからは、支えあえる人に出逢うといいね。
一人で頑張るんじゃなくて二人で頑張れて喜び倍増😆
悲しみ苦労半分こって人生になるといいね。
涼さんは
「あんたは努力をしない」
と言ったけど、
人の努力は他人には見えないこともある。
逆に他人からみて努力してると評されても、
当の本人にとっては楽しんでしていたりすることもある。
私は『努力』と言う言葉か大嫌いたが、結局のところ努力しているのだ。
今も時間が有効に使えないことのジレンマを感じ、もがきながら努力している❗⭕