勉強の息抜きなのか、今年はギブアップという現れなのか、映画版の八日目の蝉をCATVのどこぞのチャンネルでやっていたんで観てしまった。
賞総なめというし、ご多分に漏れず永作博美さんは好きな女優さんなので(ロンハーのせいか評価されすぎなきらいはあるけど)、それなりに楽しみにしつつ鑑賞。
万一、このブログを目にされた方で、この作品をこれから観ようと思っているという方がいらっしゃったら、当記事は読まない方が良いです。
そして、映画を観る前に原作小説を読むことを強くおススメします。
少し長く感じたけど、良かったと思う。賞総なめというのは納得。
原作にそれなりに思い入れがある身として、「あーそこはそうしちゃうかー」という箇所は多々あったけど、なら原作通りやるべきなのか、それとも他に方法があるのかと問われれば、妙案が思いつくわけでもなし、文句は言えない。
何てことを一番感じたのが、全体の構成。
原作を読んでいた時は、逃避行はいつまでも続くわけない、どこかで必ず破綻する筈……と十分わかっていながらも、あの『親子』にはできるだけ長く一緒に過ごしてもらいたい、いや、出来ることならずっと逃げおおせて、戸籍とか色んな問題もクリアして二人でいつまでも……などと背徳的な願望ともいえる思いを抱きつつ読んでいた。要は希和子にどっぷり感情移入していた。
だからこそ来たるべきその瞬間が訪れた時は、激しく感情が動いた。
そこで感情が動いたゆえに、ラストに明かされたその瞬間の希和子のあの台詞には心が震えた。
だが、映画版では冒頭裁判のシーンから始まり、現在の恵理菜と過去の希和子の逃避行が二重構成として紡がれていく。つまり、逃避行の結末は既にネタバレされている。
それは、原作通り希和子逃避行篇を一章とし、二章の成長した薫(恵理菜)篇をはじめからスタートとなると冗長になってしまうという作劇上の理由からなのか、単に井上真央を早い段階で出さねばならないという政治的な理由からなのか、その他の理由からなのかはわからないが、納得できないことはない。
ただ、一章を読んでいた時の、危ういところで成り立っているがゆえにかけがえのない幸せな日々、それがいつ崩れ去るか、ワクワクハラハラしつつも切なくやりきれない気持ちは、映画から入った方は味わうことができないんだなあと。
映画としてはそれで悪くないんだろうし、不満とかいうわけでないけど、自分としては原作先に読んでて本当に良かったと思った。
役者さんは評判通りの永作博美、井上真央も勿論良かったけど、個人的には思いがけない好演の小池栄子が印象に残りました。劇団ひとりは……上手いんだけど、別にあの役なら他にいい俳優さんがいくらでもいるような気が。
あと、昔小劇場の舞台よく見ていた頃に、面白いと思っていた女優さんが二人ほど出ていて、なんだか嬉しかった。
とりあえず、小豆島には行きたくなるやね。