【自分の感情を自分でコントロール】
この言葉をまやかされずに考えてみる。
感情を爆発させるのは自分で、爆発までするんだから、素の自分の発散だと思うわけです。
となると、感情のコントロールするのは、素の自分でなく、別キャラの自分。
別キャラは社会生活にあわせて、社会的な自分を考慮し、うまく素の自分を表現し伝えようとする自分。
理性と表現されることがあるかも?しれないキャラ。
でも、そのキャラは、結局「他人の評価規準」をもとに、素の自分を変換するツールのようなもの。
何が言いたいかというと、
コントロールしようとする自体の行為が、自分規準じゃなくて、他人規準に基づいての行為、
つまり、他者視点なんですね。
【感情をコントロール】しなければ、いけないと思うこと自体が、
自分で自分を評価してあげる、自分で自分を認めてあげる、
ということとは反対方向の目線ということです。
・・・・
完全に自分目線で考えると、
【感情をコントロール】って本当にする必要があるのか、なんですよね。
社会で生きていく必要性がないと感じるのであれば、コントロールなんかまったく必要ないと
言い切っても、言い過ぎではないはず。
だから。
何か起こって、感情爆発!(寸前でもOK)の場合、ステレオタイプに
感情をコントロールしなければ!と思う前に。
これって、今の私が、本当に感情をコントロールする必要があるのか?他人にあわせて。
てことを、まず、自分で自分に聞いてあげる。
他人にあわせなくても、いいや、と思うことであれば、感情を爆発させてもいいと思うんです。
逆を言っているようですが、
「感情をコントロール」するには
まず、感情を爆発させてもいい場面もあるよ~ということを、自分にゆるしてあげて、
自分を解放させてあげる、これがなんといっても必要な前提だと思うのです。
一番悪いやり方が、感情を抑え込む、我慢する。
感情はエネルギーです。
エネルギー保存の法則というのもあるように(?)、エネルギーは消えない。
ため込んでいけばためこむほど、爆発力が増すだけ。
それよりも、エネルギーをため込まないように、流れをよくする道をたくさん作ってやって、うまく循環させるか、
別に昇華できるように変換ツールを自分で作ってやるか、
だと思うんです。
まず、感情エネルギーを解放させる水門の鍵は、
「感情を爆発させてもいい」と思うこと。
「感情をコントロールなんかしなくてもいいい」と思うこと。
だって、感情は、素の自分の発散だよ。まず、その素の自分をすべて受け止めよう。
かっこつけた、なりたい理想の自分、遠くにある自分を夢見るよりも、
感情を爆発させて、感情の起伏の激しい、人間的になっていない、みっともない、なさけない自分を
何がともあれ、受け止めてあげよう。
赤ちゃんって、最初に産声あげるじゃない。ギャーギャー。
私たちは、まず、泣き声をあげて、感情を爆発させるんだから!!
感情の爆発=生きていることの産声、生命の声だよ!!