こんばんは。



中度知的障害のある妹のことが嫌いなきょうだい児毒姉です。



他のこと書こうと思ってたけど、この記事読んだので、今日はこの話。



むっちゃくちゃ自分勝手なこと書くので、胸糞悪くなりそうな方は読まないでください。



かなり飛躍してぶっ飛んだこと書いてます。(いつもか。)




皆さん、どの人に感情移入するだろうか?



私は当然、きょうだいである妹。



体の大きな成人男性が暴れまくってたら怖いし、親に『どうにかしてくれ』って思うと思う。



…お気づきだろうか?



どうにかしてくれと『思う』と思うのだ。



きっと実際には言えない。



この妹も


なぜ親は行政に頼らないのか。



なぜ親は兄を病院へ連れて行かないのか。



なぜ私は我慢しているのか。



なぜ、なぜ、なぜ…。



いろんな『なぜ』が頭の中をぐるぐる巡り続けていたはずだ。


でも、言えない。



なぜなら、彼女も『家族の呪縛』に取り憑かれているから。



早く家を出て自立すればよかったのだろうけれど、この兄と両親を『捨てて』自分一人だけ平和に生活することに後ろめたさがあったのかもしれない。


もちろん、完全に妄想なので、単純に金銭面で無理とか、他の理由も同じ確率で可能性としてあるわけだが。



大学に合格したかっこいい兄。



それが段々と崩れていく。


『まだ』大丈夫。


『まだ』家で見ていられる。


『まだ』会話できる。



まだ、まだ、まだ…。



いつのまにか最初の兄の姿からかけ離れていることに親は気づいているのだろうか?



いや、気づいているのに気づかないふりをしているのだろうか。



もちろん、ここまで書いたことも既に私の予想でしかない。



実際にはもっとストレートでよろしくないことを考えていたり、実際にしていたのかもしれない。(否認しているが。)



親も周りに相談できなかったのだろう。



『普通』だった息子がおかしくなっていく。



認めたくない気持ちもわかる。



でもね、あなた方両親にとって、子供は息子だけではない。



きょうだいがいるんだよ。



その子の生活を守るのもあなた方の仕事なんだよ。



この記事を読んで勝手に想像してた。




でね、私はいつも思うことがある。



『最初からきょうだい児』なのと『途中からきょうだい児』なのと、どちらが大変なのか。



結論から言うと、どちらも同じ。と私は思ってる。



どちらも自分が『きょうだい児』であることを認める作業が必要。



でもね、私みたいに、妹が産まれた時点で『きょうだい児』が確定している場合、小さい頃からきょうだい児としての、まぁ、言わば英才教育がなされてるわけ。きょうだい児の純粋培養(笑)



そういう意味では、妹を障害者として受け入れる環境は、残念なことだけど整えられてる。



そうではない場合ももちろんあるだろうけど。




この記事みたいに、まず、親が認めきれてない、となると、きょうだい児はますます認められないし、受け入れられないと思う。



だからさ、障害児ときょうだい児を育ててる方は『こんなことがあったらこの子(障害児)は施設』って線引きを早く決めて。


他害が出たら。


家の中で暴れたら。


きょうだい児に暴力でも性的にでも手を出したら。


親である自分が衰えたら。


とにかく年齢で区切る。施設は早い者勝ちだからね。


色々あると思う。



そして、それを絶対にブレさせないで欲しい。



障害児も自分の子だから、『線引きをしたけれど、まだいけるとおもう』って緩めてしまいたくなる気持ちもわかる。



でも、そうじゃないんだよ。



障害児を自分の手の届くところに置いておくことが幸せじゃないんだよ。



きょうだい児にどれだけ我慢させてる?というか、我慢させてる自覚ある?




『うちのきょうだい児ちゃんは障害児ちゃんを可愛がってくれてて、とっても良い子です』



はいはい。優秀なお子様ですね。



でも、それってその子の本当の本当の本当の子供らしさ?



すいません。なんかとても攻撃的。別に誰かを恨んでるわけではないので悪しからず。



そして、ここまで書いてきて、私が1番恐れているのは、私の子供たちがここでいうところの『崩れていく』状態になってしまうこと。



他の子を『きょうだい』にしてしまうこと。



それを何より恐れている。



なぜなら、私もきっとどの子も簡単には手放せないだろうから。



これは自分への戒めの文でもある。


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