こんばんは。


中度知的障害者の妹のことが嫌いなきょうだい児毒姉です。


早いもので、明日の昼には新元号が発表されますね。なんとなくワクワク。


以前、きょうだい児が子どもを持つときに考えることを書いた。


読み直してみると、勝手なこと書いてるなと思う。


そして、今回は前回とは矛盾した内容を書く。


子どもを持つときに、1人目が健常児、2人目が障害児だった場合。


私はきっと3人目を望む。


3人目が健常児なら、1人目の健常児と普通の兄弟関係を築ける可能性が高い。


逆に3人目が障害児だった場合、苦労が増える気もするが、将来2人一緒に施設に入れられる。もちろん、障害の程度によっても変わるかもしれないが。


そうしたら、施設に入った障害児がお互い寂しくないんじゃないかな?


と思える気がする。これもまた障害の程度によるけれど。寂しいとか兄弟がいて心強いとか思える知能がある場合に限るのかな。


こういう考えにも、きょうだい児らしさが出ているのだろうか。


でも、子どもには五体満足を望むのが親だと思う。


母が以前言っていた。


親は、子供が生まれたら育てるしかない。



子育てする今、重い言葉だなと思う。


現在、私の子どもに障害があるか否かははっきりしない。



親から見ると、健常児のような気もするが、毎日一緒にいるから、分からないこともあるのかもしれない。


大きくなって集団生活をしていく中ではっきりしていくと思う。


お子さんは障害児ですよと言われたとき、私は受け入れられるだろうか。


受け入れるとか、受け入れないとか、そんなことは関係なく、これまでと同じように育てていくだけなのかもしれない。