娘は親に心配をかける悪い子ではなく、むしろ悪いのは娘に心配させていた親の方じゃないか。そのことに気付かなかった毒親の方であり、これが善人仮面を被った、いい人いい親の正体である。

 

精神的に追い込まれて苦しみ鬱になり、やがて不登校や引きこもりという心の病は、暴力とか体の病気と違って見えにくく分かりづらい。そういう意味じゃとっても質が悪く誤解されやすい。怠けているんじゃないか、やる気がないんじゃないかとか、一方的な見方で社会のお荷物であるかのように片付けられがちであり、ほとんど誤解されていると言っていいんじゃないか。心やさしい彼らが苦しみながらも世の中に伝えようとしている、本当の心の声をメッセージを我々は社会は聞かなくてはならない。

 

今、娘とのこれまでの日々を振り返ってみると、その見えにくさ、分かりづらさ故の時間、年月だったようにも思えるが、娘にとって大事なのはその難解な心の問題を、何としても解決してあげようという親の理屈抜きの思いじゃないか。自分を捨てて他を思う、利他の心だ。

何としてもこの子を守ってあげよう、何とかしてあげようという思いより、自分を優先してしまう弱さが勝ってしまう。これが善人仮面の正体である。

 

私は子どもの頃から心配事を父親に相談したことがなかった。父親像というれっきとしたものがない、頼りないただ働くだけの人だった。姉や母に相談することはあったが、いつしか自分で何とかしようというふうになって行った。それはある意味、自分一人だけのことを考えていれば良いんだという、利己的な生き方になって行ったんだと思う。

 

そんなのが結婚し子どもを持つ資格が果たしてあったんだろうか。子どもが子どもを産んで育てることになってしまう。結婚ということ、子どもを持つということ、そして父親になるということ、そんなとっても肝心な心構えを疎かにしていたんだと思う。覚悟も理解も責任感もまったく足りていなかった。恥ずかしい限りだ。

 

月光仮面は利他の心を貫いた大人とすれば、善人仮面は利己的で精神的に未熟な子どものままの大人である。