大人になっても未熟な親に娘は育てられた訳だが、アダルトチルドレンである親にも親はいる。善人仮面はどんな親、家庭のもとで育ってきたかをもう一度振り替えってみたくなった。

当時はあたりまえだったが、ひとつの家に祖父母、父と母、叔父夫婦、そして姉と私の暮らす8人の大家族だった。

織物関係の勤め人をしていた祖父は、新潟は見附から出てきた祖母と結婚し、機拵え(機織りの下準備をする)の仕事を始める。長男である私の父と次男の叔父の二人を育て働き手とし、当時の織物好景気も幸いし大いに家業をもり立てた。

短気だが町内の役を任される実直な祖父は、家業の切り盛りを一人でこなしていた。祖母に頭が上がらない祖父にはよく怒鳴られ叩かれて怖かった。物置小屋に入れられて泣いた事は忘れられない。

いつでも火鉢の前に座りタバコをふかす祖母は、家業も家事も一切しない浪費家だったが、この家に君臨していた。姉と私を父母から引き離し、たびたび新しい服を買ってくれたりバス旅行に連れてったりした。子どもにはうれしくもあったが可愛がり方が一方的であり、決して心優しい人ではなかった。

祖母から家の嫁は家業ができぬと、きつく冷たい言葉で罵られる母は、実家に戻ろうかと何度も考えたようだが、それでも必死に耐えて家事一切をこなしていた。近所でも評判の恐いばあ様ゆえ同情する人も多かったが、やはり精神的な負担は体を蝕み、よく足利の指圧師のところへ私を伴って通っていた。

父は祖父から指示された通りに各機屋さんに自転車で出向き、織機を回せる下準備をする仕事をしていた。以前にも書いたが、存在感というかオヤジという印象の薄い人だった。怒られた記憶もない。姉は父を嫌いほとんど口を利かなかった。

あんちゃんと呼んでた叔父さんも父と同じ仕事をしていたが、祖母から甘やかされて育ったせいか朝起きるのが遅く、夜も遅かった。勝手気ままな人だったが、なぜか恐いと思っていた。

いま初めて気付いたのだが私にとって父母とは、祖父であり祖母だったんじゃないかと。父は同居人であり、母は使用人にさせられていたんじゃないかと思う。親子四人という括りが希薄でほとんど感じられなかった。