娘は赤ちゃんだったころ夜泣きや寝グズもほとんどなく、抱っこしてホイホイしているとそのまま寝入る、とても寝付きのいい子だった。

少し大きくなって歩けるようになったころ、じっと大きな目を見開いてコタツに寝転び、考えごとでもしているようなこともあったし、一人遊びもできたし何をするにも、あれこれうるさくまとわりついたりする子じゃなかった。

親としては、じつにありがたい育てやすく手のかからぬ子だった。

さらに大きくなっても、あれが欲しいこれが欲しいと自分から言うこともなく、欲しいものあると聞いても無いと言う答え、実際借り物とか頂き物で済ませてしまうことが多かった。

子どもにとって大きな、七つの祝いの晴れ着や新入学の机なども、娘だけのために新しく用意したものではなかった。


予防接種を受けに行った際、注射をし先生が痛かった?と聞くと、「あぁおもしろかった」と答えた娘。なかなかこう答える子はいないだろう。痛くないはずないのに強がってしまう、まぁがまん強いと言えば確かにがまん強い子だった。

自分の思いを親にストレートに言う子じゃなかったが、それをいいことに親の方が娘のがまんに甘えてしまっていたような気がする。

いくら自分からあれこれ欲しいと言わないけれど、おまえだけのものだよと、ピカピカの新しいもの、私だけのものが本心は欲しかったに違いない。

善人仮面はもう少し娘の胸のうちを隠している思いを察してやるべきだった。「あぁおもしろかった」と強がる子の本当の痛さを感じてやらねばならなかった。

何よりも一番大切な「自己肯定感」を、娘だけの新しいものといっしょに買い与えてやらなくてはならなかった。