娘は以前テレビで映画を観ているとき、疑問不明な点が生じると、「いまなんて言ったの」、「どういう意味」とかよく聞いてきた。
いっしょに観ているのだから、解れば直ぐに答えられるが、解らなければ考えているまに、話が解らなくなってしまいかねない。こんなことが幾たびかあったように思う。
分数の割り算のときもそうだったが、自分に納得できないことに出会うと、それを解決しないと前に進めなくなってしまうのだ。
小さい頃からのことでありはっきり覚えていないが、なんにつけ質問されて、ついつい忙しさにかまけて、その場凌ぎの返答で済ませてしまったこともあったと思う。
子どもだからといって適当にあしらっていた訳じゃ決してないが、本当に子どもに寄り添い親身になって、答えを探してやったかと言われればやはり自信がない。
世の中の子育て世代の父親たちよ、子どもだからといって適当にあしらったつけは、後に結構な利息を伴い戻ってくることを知っておくべきだろう。
柔軟なこころを持つ若い頃は、善しにつけ悪しにつけあらゆることが、スポンジのように染み込んでくる。
知識が増せばあれこれ興味も湧くし、ゆれる心にさまざまな感情が沸き起こる。
あれもやりたいこれもやりたい、そんな自然な欲求を抱えながらも、さまざまな胸のうち感情が深く関わり、現実はそううまくは行かないことも多い。
誰もがそれぞれのストーリーを生きて行かなくてはならないが、娘も未だ果たせぬ止まったままの思いをいくつも胸に懐いているに違いない。
娘自身のストーリーの中で起きたギモンに、善人仮面は心底向き合って答えてあげられなかった。娘の質問の答えを探すうちに、その話自体が解らなくなってしまったのかもしれない。