娘のこころの中に突然表れた疎外感。周囲の人たち、特に親しい人たちからの孤立感が増していく。
いちばん身近に居て、毎日顔を合わせる家族との日常は、娘にとってはそれこそ最前線、味方となるか敵になるかの大きな分かれ目だったに違いない。
お金とか、食事とかの心配をしていれば、一方的な声、押し付けの毒親。善人仮面は 助けて 助けて という娘からの声なき声を聞いてやれなかった。
自分はここに居るよ、ここに居ていいの、わたしという存在はいったい何なの、大切じゃないんだろうか という自己存在の不安感、否定感を募らせる結果になっていたのだ。
私自身も子どもの頃、娘ほど深刻ではないが、母との、祖父祖母との関係に思いを巡らせたことはある。何故か父とはほとんどない。
やはり考え方が即物的、こころよりものだったように思う。それはしごく個人的な、相手のことより自分がなんとかなれば良いという、自立に見せかけた逃げだったように思う。だからそれ以上相手の気持ちというものを大事にできなかった。
娘にとっては、日常のやり取りの奥にどうしても見えてくる人としての有り方、その人が作る人間社会のあり方、そして家族のあり方、もっと深くて、大事な、避けては通れない問題に感じていたのだと思う。
善人仮面なら、まぁいいかとその時その時で済ませて来たものを、娘はそこに世の中の根源的な問題を感じ取り、そのギャップを何とかしなくてはと、まずは自己否定から自己肯定への闘いへ、自分一人で立ち向かわざるを得なかったのだろう。