小さい時から、生きづらさとの闘いだった。世の中になじめない、人になじめない。世の中って学校ってそして人って何なんだろうと娘。
高校時代の娘は、入学はしたものの学校になじめず、だんだん不登校になっていった。やがてクラスメートに被害妄想を抱くようになり、うつ状態がひどくなっていった。登校しても教室には行かず、保健室で過ごすようになり、かろうじてそこが唯一の居場所だったようだ。
その頃から娘は、学校というものに対する疑問を口にするようになった。狭い空間に押し詰められ、頭の中に紋切り型の授業が詰め込まれていく。人を人として見ない、どこかみんなバラバラで、人を人足らしめる大事な心のつながり内面的な部分が見捨てられていく。保健室での交流はありがたかったようだ。いくらかでも人間的なものを感じられたのだろう。親の知る限りでは、三人ほどのともだちがいたように思う。退学後もしばらく友達付き合いは続いていたようだ。
人一倍感受性の強かった娘には、教室でのクラスメートのおしゃべりも耳をガンガン打つ騒音のように聞こえていたのに違いない。ズカズカと心の中に入り込んできて、エネルギーを奪い取っていったに違いない。無神経な言葉の一つ一つが、ものすごい波動となって、それを全身で受け止めてしまう娘の心を圧迫していたに違いない。
当時はまだ、一方的な命名ではあると思うが発達障害という社会的な理解に乏しかった。障害という名の付くものが実は優れた個性であると気付いてやれなかった。われわれも世の中も誤解の中だった。これらがクラスメートに抱いた妄想の真実だと思う。
日々元気のない娘のピンチに善人仮面は気付いてやれなかった。どうしたらいいんだろう、あれこれ考えては見るのだが、子どものような意識の未熟な親たちには悪戯に時間が過ぎるばかりだった。