世の中に占い師という人がいるのを知ったのは

小学3年生の夏でした。

 

家に「拝み屋さん」という肩書きの婆さんが来たのです。

私の住んでいた町のあちらこちらをまわり、

その家にある良いもの、悪いものを言い

どうすればいいのかを語ってはそのまま次の家へ。

 

昭和一桁生まれの両親は

「お隣が見てもらったのだからうちも」という感覚。

そもそも占いとか風水とか無信仰なのにね。

 

その拝み屋さん、今思うと

占いというよりも風水だったような気がします。

 

うちの場合、

玄関を開けてすぐに2階に上がる階段があったので

それを直した方が良いと。

 

また、父が農業を営んでいたため、

庭に野菜を洗うプールみたいなのがあったんだけれど

それも埋めないと家の主人が早死にするよと不吉なことを言うもんだから

家族みんなが震えあがりました。

 

間もなく父は

家のあらゆるところの工事を始めました。

 

通りがかりの婆さんの

そんな一言で、大の大人が実際に工事始めちゃうって

占いってすご〜い!と子供ながらに思いました。

 

漫画の「りぼん」や「なかよし」の

星占いとはワケが違うんだぜと感じました。

 

いつか私も大人になったら

占い師に何かを占ってもらいたい、

そう思っていました。

 

でも、

今と違い、占い師がどこにいるのか全く分からずにいました。

 

高校生になって友達と

『ジャニードキドキのファンクラブに遊びに行こう!』

なんて言って原宿に遊びに行くようになりました。

今はわかりませんが、

その頃、ファンクラブはオープンになっていて

誰でも入れたような記憶。

 

そこで、マッドキドキのポスターや写真を見ては

キャーキャー騒ぎ、

表参道の方までキャーキャー騒ぎながら歩き、

糸ぐるまという店でラーメンを食べるのがお決まりでした。

そんなお決まりコースに追加されたのが

その頃流行り始めた占い館。

どの辺にあったか記憶がかすれていますが、

そこで私は

マッドキドキとの相性を見てもらいましたにひひ

 

コンピューターみたいな機械に

必要な項目を入力し、

ジージーと紙が出てくるんです。

 

相性なんパーセントとかねアップ

 

バイトで稼いだお金が入ったばかりの時は

ちょっとお高めな手相占いなんかしたりして。

 

でもね、なんだかね、

「子供っぽいわ」って思っていました。

小学3年で拝み屋さんの婆さんを知ってしまった私には

ちょっと物足りなかったのです。

 

いつか、もっと大人になったら

すんごい占い師に見てもらおうなんて思っていました。

 

占いって

依存するとかなりマズイと思うけれど

心のマッサージとして利用する分には良いと私は思っています。