亡くなった六代目三遊亭円楽、青山学院大学法学部時代にブント系の活動家だったわけですが、本人の主観では「さらぎ派」だったよう。週刊文春での阿川佐和子との2010年の対談ではそう語っています。69年4・28以降のブント内の分裂で当時の青学の主流は叛旗派になるのでなぜさらぎ派なのかは謎ですが。 pic.twitter.com/YETvOLNQAQ
— ねあ / NY (@n__n__s) 2022年9月30日
亡くなった六代目三遊亭円楽、青山学院大学法学部時代にブント系の活動家だったわけですが、本人の主観では「さらぎ派」だったよう。週刊文春での阿川佐和子との2010年の対談ではそう語っています。69年4・28以降のブント内の分裂で当時の青学の主流は叛旗派になるのでなぜさらぎ派なのかは謎ですが。 pic.twitter.com/YETvOLNQAQ
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