こんにちは(^^ゞ

網走市のライフオーガナイザー、ヒロこと、斎藤 ひろみです。


リビングのお話。

我が家のリビングで特徴的なことは、押入れを開けると………仏壇!

スクリーンを巻き上げると………遺影!
(言葉にすると、強烈かも)

さらに押入れの反対側の戸を開けると………置き畳と仏壇前用の座布団&下段にはカーペットが入っています。


そう、我が家のリビングは必要に応じて、仏間の機能を果たせるようになっています。
母の部屋に仏壇を置けない事情(認知症でしたから、蝋燭やお線香が時に危険を招く原因になりました)があった為、リビングに設置する事にしたのでした。

さらについ最近まで大きめな犬が二匹いましたので、柵などを置いて、仏間エリアを守っていました。お供えの食べ物なんて置きっぱなしにできませんでした。お供えしてお参りして、即、さげる。シビア~でしょ

リビングには天井から床までのロールスクリーンが、何ヵ所か有ります。これも、色んなものが母の視覚に入ることによる不安を防ぐため、もしくは事故を防ぐための仕組みでした。

時々、庭に出て塀の所で立ちすくみ、「そろそろ帰らないと…」と、呟いたりしていたっけ…母の中のおうちは、生まれ故郷の樺太の家だったと思います。さすがに、連れて行ってはあげられませんでした。

夜中には、このリビングの端から端まで行ったり来たりも…

母の場合、かなり認知症が進行し、介護度が最上の5度まで進んでも歩行が可能でしたから、状況は厳しかったし、二人だけで家にいるときは気を抜けなかったのです。そんな時でも、スクリーンを降ろして、目線を変えたりしながら、毎日をなんとか凌いでいました。
スクリーンをバックにフラを踊ると手を叩いて喜んでくれたり、なんだか思い出してしまいますね。

そんな母と過ごす日々は、悲喜こもごも、自分のことは二の次でしたが、今では、全てが思い出です。ただただ、目の前のことを必死にこなす日々の中で、切実に時間が欲しかったな~

いつ終わると判らない怒涛の日々の中で、私の精神的な支えは、家族でした。もしかしたら、母と二人きりの生活だったら耐えられなかったかもしれません。家族には具体的に手を借りるとかではありません。ただ、そこに私を見ていてくれる家族がいたことが、まぎれもなく私を支えていてくれていたと思いますね。

ただ、そこに居てくれる事が本当に大切なんだと…気付かせてくれました。

話がそれました。認知症の母と過ごすための仕組みを作ったリビング。私がライフオーガナイズを知る前のことです。今ならもっと違っていたのかな?今ならその当時よりお家がオーガナイズしている分、気持ちの余裕があったかもしれません。

明日はそんなリビングの今を、写真でお見せしますね。

今日もクリアで有意義な1日を…

オーガナイズ、大事です!


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