前の年に旧ステーションプラザ明石のリニューアルオープンがあり什器類は新品に買いそろえ、必要と思えるものは出来るだけ用意するようにしました。その分出るものも相当ありましたガーン

前回のブログに書いたように再開発ビルでのリニューアルオープンはスリムに出店するつもりでした。

 

しかしびっくり

 

横に35回の高層マンションが併設され明石駅前に聳え立つ「パピオスあかし」はそんな簡単なものではありませんでしたびっくり

 

従前に私達は土地も建物も所有していたので、場所も以前とあまり変わらないところに確保できました。ここまでは想像通り。

ピオレの場合は排水の関係で床下に配管できなかったので厨房が30センチ上がってしまいました。設計上制約が多くかなりストレスのある配置となってしまいました。今度は自由に場所を決める事もできるし設計図上の空調の移動費も要りません。よし!やるぞっとおもったら・・・チーン

 

うーん、確かに自由に出来るけど非常扉の位置は決められてるし開口部も決められてる。配管は床下通せるけど、床・・自分でするの?防水区画うんうん、充填うんうん下がってるから上げないといけないのねキョロキョロ壁も作るの?天井も?殆どセルフですやん。構造の工事は大手ゼネコンさんがしてくれるんでおまかせですね。これはピオレより安いウインク(一般工務店より高いですw)

工務店さんからの見積もり出ました!ガーン滝汗ゲローゲッソリ

ビル建つやん笑い泣き(つづく)

実に1年以上もブログ更新できていませんでした。

 

その間には明石の駅前再開発がとうとう終了し、

 

新たに出来た「パピオスあかし」に従来あった「お好み焼道場」と

「酒道場」を新規オープンさせることが出来ました。

 

人から見ると以前あったところに戻ってきて役所主導の再開発の

該当地に当たってラッキー!補助金沢山もらえるでしょ!立地も

良くなってウハウハですね。と思われることが多いんですが、

実際は大変でしたびっくり

 

確かに補助金はもらえます。再開発の間営業できなかっても救済はしていただけます。もってる不動産価値は上がります。人通りが良くなって売上も上げやすいでしょう。

 

しかし大変でした。私自身元の店舗から仮店舗への移動、仮店舗から新店舗へ移動、多少手間がかかるけれども什器も殆ど買い足す事も無しスリムな新規開店でいけると思っていました爆  笑

 

が、が、が、ガーン再開発ビルに出店するという事はそんなに簡単なものでは有りませんでした。

 

 

ここ10数年は介護老人ホームへ入所したままで数えるほどしか外出していないので

殆ど知っているお客様もいなくなってきたんですが、昔の道場には知る人ぞ知る名物女将?
が存在していたんですにひひ

なぜ?が付いているのかと言うと、今の時代にはそれほど珍しくなくなって来ましたが、
彼女の装いはほぼシャツにスラックス私が知る限りスカートをはいている事はなかった。

男物の服しか持っていない所謂「おなべ」さんなんです。

昭和4年生まれ、青春時代を諸に戦争に支配され勉強よりも学徒動員で働かされていた彼女は、
終戦と共に価値観を180度転換され何を信じていけば良いのかがわからない。大病で腎臓1つと
子宮を摘出し全てにおいて立ち位置を固定できなかった彼女にはそうすることが自分らしさを出す
最良の方法だったのかは今となってはわからない(本人もわからないでしょう)

まぁそんな人なんですが(どんなひとやシラー
戦時下での鬱憤を晴らすように遊びまくりそれこそ男顔負けの幅を利かせていたそうです。
そこで兄である弊社の創業主に仕事を手伝うように言われ店に立つことになったそうです。

その時代の飲み屋を仕切っていくには、キップのよさと勢いがとてもあってたんでしょうね。
高度成長期も重なって店の売上も伸びていきました。
現場でがんばってくれている彼女があってこそ今の道場があるといっても過言ではないでしょう。暖簾というものを築いてくれているという事は私たち後継にとって非常にありがたい事です。なりふり構わずがんばってくれた彼女の功績は計り知れないものがあります。

仕事の仕方という点では多くのことを学ばせていただきました。
店で朝から晩まで飲み続け酔ってしまえば理屈に合わない事を言って人をののしったりする酔っ払いぶりは反面教師としてもわかりやすく良い面でも悪い面でも大変勉強になりました。

脳梗塞になって倒れてから13年はそれまでとは打って変わって平穏な日々を暮らしていたと聴きます。棺の中ではワンピースを着ていたのはご愛嬌
あの世に行って好きなだけ飲んでください。これからはお客さんに「死んだ?」って聞かれたら
「うん」っていうわ。酒道場は次も無くさないから安心してな