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ドイツのブログ

私が、博士号を取り、子供と同居し、芸能人になるまでを描きます。

私は、思想家で半ば意識的に眠り意識的に欠伸した。意識的に時間を伸ばして休んだ。「考えないでやるより、考えてやった方がいい」という人はいたが、それだけだろうか?半ば意識的に欠伸するとは、医学や科学でもわかっていない欠伸の正体がわかっているのか?
 
 
それは、意識的な勘も含めてわかっていると言わざるを得ない。眠たいとき、暇なときに欠伸すると言われるが、それ以外の欠伸は?それは、左脳に目の前の人が偏って一生懸命な場合。もっと言うなら、欠伸するかのような場合で煙草をする場合もあり得るのだ。欠伸とは弛緩であるが、煙草は興奮と麻痺だが、欠伸するかのような場合で煙草をする場合はあり得る。
 
 
欠伸とは「開く首」で大きく自然と息を吸い、首が開く。首の気管支が開く。それと同時に首の筋肉の凝りが取れる。「伸びを欠く」と書くように背伸びや「アーア」という声を伴う。それらを伴うのは、そうした方が気持ち良いのを体が知ってるからだ。
 
 
 
なら、半ば意識的に眠るとは?
 
 
私は、いつも考えていて一日中といってよかったが、眠る前、眠たいと合理性に合わん考えになった。(ああ寝てくな)と眠っていた。今は、そこまで考えず寝るのだが、寝にくい折りはそうしていた。「羊が一匹・…」で寝たことも一度あった。寝にくい折りのもう一つは、わざと呼吸を荒くした。これによっては実によく寝た。
 
 
体の力を抜くことも必要だが、体に力が入ったまま寝ているときが人にはある。
 
 
寝られない人は医学で言われる睡眠儀式だ。これは寝る前に何でもいいのだが、いつも同じことをする事だ。横向きに寝るぐぅぐぅしょぼんドンッ下向きに寝るぐぅぐぅしょぼんドンッ酒を飲む。などを決めとくことだ。何でもいい。これはよくきく。
 
 
何でも意識的な私は、人生の科学、と風呂上がり思い付いた。私の思索は膨大で読むだけでも大変だ。幸福の科学ほどでもないかも知れないが膨大だ。読むだけでも時間が掛かる。私の思想の根本は「苦楽ありとり」難しく言うと身体論の功利主義だった。体がえらい、苦だと悪い思想に体が楽や快だといい考えになるーーーという身体論の功利主義だった。だから、ありとり(分析)のため体をいじめる修行をした。そして大発見?などしたが、それも現実(人生の科学)において大したことない。人はびっくりしない。大頭脳、並外れた体力を持ってしても、私のしゃべり方はヘンテコリンで賢くても力が強くても差し引き普通の人なのだ。人生の科学は、「苦楽ありとり」に始まり「4つの力」の理論に・…そして、それは私の始めた芸術科学が、ウンコも窓も全て芸術ととるように、理想の宗教も、差別される人も、エリートもヤクザも宗教を信じない人も含める普遍的、まあ透明な思想なのだ。科学なのだ。しかし、死の実存に苦しんだ私は、あの世を首の皮一枚残す唯物主義ながら唯心主義者なのだ。
 
 
難しい話になった。妻と子の平安を祈る。