7th of October (Whitsuntide 20th) Sunday Service 10:30am~(With Communion)
・聖書箇所: 使徒言行録 5章17節~26節
・Scripture: Acts 5:17~26
・説教題: 「命の言葉を告げよ」
・Sermon: "Tell the Message about Life"
9月の聖書の言葉
「フィリポは、『来て、見なさい』と言った。」
ヨハネによる福音書1章46節
「その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。」
(ヨハネによる福音書1章43節~46節)
「来て見て触って、○○○のお店」、15年ほど前でしょうか、こんなキャッチコピーが某電機メーカーのパソコンの宣伝で使われていました。その影響からか、今では色んなところで「来て、見て、触って、○○」というキャッチコピーが使われているようです。インターネットで「来て見て触って」と検索してみると、なかなか面白いです。
「来る」、「見る」、「触る」から思い浮かぶことは、「出会う」・「体験する」ということです。「来て、見て、触って」というキャッチコピーを実際に使っているイベントや宣伝は、今まで全く出会ったこともないような未知のもの、全く新しいものを紹介するものが多いような印象を持ちました。ところで「未知のものとの出会い」といえば、スティーブン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』(1977年)というSF映画がありましたが、あの映画は、実は旧約聖書の出エジプト記の中で、モーセがシナイ山で神と出会うというモチーフが下敷きになっている非常に聖書的な映画です。
さて9月の聖書の言葉として示されているヨハネによる福音書1章46節は、ヨハネによる福音書の中でイエスさまが最初の弟子たちを招かれる場面(1章35節~51節)の一文です。イエスさまと最初に出会ったのはアンデレさんとペトロさんでした。恐らくここではイエスさまがまだどんな方なのかを全く知らなかった二人でしたが、イエスさまが「来なさい、そうすればわかる」と声をかけられたので、彼らはイエスさまについて行きます。そしてイエスさまがどんな方なのかを見ます。そこで二人はイエスさまをメシア(救い主)だと信じ、弟子になるのです。その翌日、今度はイエスさまはフィリポさんに出会ってフィリポさんを弟子にします。そして次は弟子になったフィリポさんがナタナエルさんに「来て、見なさい」と呼びかけるのです。
ここには人がどのようにしてキリスト教の信仰を持つのかという過程が見て取れます。まず「出会い」。信仰はイエスさまと「出会う」ことから始まります。そして次に「来る(行く)」と「見る」です。イエスさまあるいはキリスト教が一体どんなものなのかを、すこし近寄って(「来て」・「行って」)、「見る」のです。するとイエスさまの素晴らしさに触れ(触って)、神さまの愛を体験するのです。そしてその人が今度は次の人に神の愛を伝えるのです。
実は皆さんは偶然にも既にイエスさまに出会っておられます。この周船寺幼稚園・周船寺第二幼稚園との出会いがそうです。幼稚園での保育の中にイエスさまがおられるのです。あとは「来て、見る」だけです。そうすれば神さまの愛を体験できるでしょう。さて、ではどこへ「来て、見る」のか…それは幼稚園の原点・出発点になっているところです。
…「来て、見て、触って、キリスト教会!!」