さてさて、お久しぶりで御座います。
土井電業 積算の【猫大好き】です <(_ _)>


めまぐるしくも楽しい日々を過ごしていたら・・・
ブログ・・・
わたくしめ、
サボってました!Σ(´□`;)ハゥ

そんなこんなで
おんぷ弊社のHPがリニューアルおんぷしちゃいました。
そこでブログの在り方を今一度考えてみようと!
(このブログは引き連れていきます


そこで!

この【猫大好き】が新たにプチブログを開設しようかと思っております

内容は定まっていませんが不定期更新でゆる~く始めたいと思います。
やっぱり少しでも知って頂きたいことがあるのです!
ブログだからこその伝わり方があると考えてますしゃきーん



では、また近いうちに~(*'∀`*)v




追伸
【猫大好き】改め【猫のトイレ掃除係】に名前変更します

積算道具


たま~に猫の画像やゆるーい画像が出現するかも~きゃー


久々の更新となっています

本日、ときまたぎグループのホームページが立ち上がりました

今後、ここで活動などをアップしていき、より良いページに
していこうと思います

今後とも何卒宜しくお願い申し上げます

http://tokimatagi.com




久しぶりの更新です!

当グループでの取り組みをレディーフォーにて、掲載しました!
活動内容は以下になります。

皆様とよりよい未来を共に!

「人と自然とエネルギーの調和する未来の創造に向けて」

https://readyfor.jp/projects/ikttenergy

カンボジアの村に水車を設置し、電力自給を目指します!

 

はじめまして、土井新悟と申します。カンボジアでは20数年にも及んだ内戦とその後の混乱により、伝統的な絹織物が失われつつありました。こうした現状に対し、伝統織物の復興や担い手の育成、そして生活環境の再生のため、カンボジアのNGO・クメール伝統織物研究所(IKTT)のメンバーとして活動してきました。今回、IKTTの活動拠点である「伝統の森」にて、小水力発電導入のためのプロジェクトを立ち上げました。

 

 

 

クメール伝統織物研究所(IKTT)とは

 

クメール伝統織物研究所(IKTT)は、京都の友禅職人だった森本喜久男さんが1996年にカンボジアで設立した現地NGOです。そのミッションは、カンボジア内戦とその後の混乱のなかで、途絶えかけていたカンボジア伝統のすばらしい絹織物の復興にありました。しかし、その道筋は容易なものではありませんでした。織物の復興以前に求められたのは、織物の担い手を育てること、必要な素材を生産すること、そして染織の経験のあるおばあちゃんたちを探し出し、その知恵と技術を受け継ぐ場をつくることでした。

 

(IKTTの工房の様子)

 

 

森本さんがつくりあげたカンボジア「伝統の森」

 

森本さんは、2002年に土地を取得し、織物を中心にした循環型の村づくりを始めます。村々に残る織り手のおばあちゃんや、養蚕経験のある村の人たちを説得し、ともに暮らしながら染め織りを復活させる活動を始めました。伝統的な絹織物を復活させるために養蚕を始め、それに必要な桑の木を植え、自然染料となる草木の栽培にも取り組み始めました。それが「伝統の森」です。

 

「伝統の森」では、人びとは野菜を育て、沼で魚を捕り、ニワトリやアヒルを飼っています。牛の糞は落ち葉と一緒に堆肥にし、畑にすき込みます。飲み水は、村のあちこちに掘られた井戸から得られます。沼からくみ上げた水で畑に水遣りもします。こうして自然循環型の村が実現しつつあるのです。

 

(「伝統の森」)

 

(「伝統の森」)

 

 

クメールシルクの再興へ

 

IKTTで織り上げられる布は、世界一の品質のシルクと呼ばれるまでになりました。染め材は伝統的な自然染料、生糸はインドシナ原産の蚕がつくる繭から引かれた黄色い生糸が使われています。IKTT設立から20年、すばらしいカンボジアの伝統が再興するに至りました。

 

(黄金のシルク)

 

 

エネルギー自給に向けて

 

そんな中、「伝統の森」でのエネルギー自給はこれからの課題となっていました。今回のプロジェクトでは、敷地のすぐ横を流れる川の水流を利用した小水力発電によるエネルギー自給化と、その際に水車でくみ上げた水を利用して「伝統の森」のあちこちにある畑への給配水を行ないます。現状では生活電力のすべてを賄うには十分ではありませんが、今回のプロジェクトを端緒として継続していくことで、本当の意味での「循環型社会」を築くことができるのです。これは、これからの未来を示す道しるべになるのではと考えています。

 

 

「伝統の森」の現況

 

現在「伝統の森」には、33世帯85人が暮らしています。夕方5時から夜10時まで、ディーゼルエンジンによる発電機を回すことで各世帯に送電し、団らんを支えています。必要な場合を除き、日中は発電機は動かしていません。今回のプロジェクトが実現すれば、日中の電力供給も可能になります。

 

(織物を中心として人々が暮らす伝統の森)

 

今回導入する小水力発電システムは、約0.5kWの電力を生み出す想定です。水力発電は水がある限り24時間稼働するので、1日に0.5kW×24時間=12kWh発電します。「伝統の森」では現在、午後5時から10時までの間に35kWhの電気を使用しているので、今回のプロジェクトが達成されれば、使用する電力のおよそ3~4分の1を賄うこととなります。織物だけではなく、暮らしに必要な電力も自然の恵みがベースとなり自然循環型の村づくりが加速します。

 

 

資金協力のお願い

 

今回、この小水力発電導入のためのプロジェクト資金として、合計700万円を必要としています。そのうちREADYFORを通じて、100万円のご協力をお願いしたいと思います。落差の少ないところでも効率的に出力できる直径5メートルの下掛け水車の制作、発電用の水流を確保するための土木工事、発電機ならびに制御盤などを購入する必要があります。また、導入に伴う技術移転のための費用なども発生します。

 

本プロジェクトは、すでに2015年7月に状況把握のための現地調査を実施し、2016年夏に水車を設置することを前提に、村の電力自給化を目指して動き出しています。

 

(私たちがプロジェクトを実施しています!)

 

 

プロジェクトメンバー

 

今回の「伝統の森」エネルギー自給プロジェクトは、多くの協力者が力を合わせて行っていきます。電気設備の施工管理 を行なっているわたし土井新悟に加え、海外での援助協力の専門家としてさまざまな現場に携わってきた田島誠、小水力発電研究・導入の専門家である岡村鉄兵、小水力発電を実際に集落に導入してきた経験をもつ平野彰秀・馨生里が、現地「伝統の森」で暮らすIKTT代表の森本喜久男さんの協力のもとにプロジェクトを進めます。

 

(右から田島氏、岡村氏、私です)

 

小水力発電によって電力をまかなうことで、「伝統の森」に住むカンボジアの人たちの生活がより豊かなものになることはいうまでもなく、自然循環型社会のモデルとして、社会をけん引する村となるのではないでしょうか。

 

内戦で失われたカンボジアの伝統織物を本当の意味で復活するということは、自然の恵みを受けてつくられてきた織物、そしてそれを生み出す人びとの暮らしが自然のサイクルとともに在るということ。それをこの村で実現していくことは、これからの私たちの社会を考えていくときに非常に重要なことと考えます。

 

ぜひ当プロジェクトにご支援いただければと思います。

どうぞよろしくお願いいたします!

お久しぶりです!

突然ですが、グループ企業となりました。

実は、今までにも関連会社として会社は存在していたのですが
グループ名を決めてグループ化しました

その中で、この度10月1日に関連会社が2社増えて
トータルで5社となります

グループ名は

「ときまたぎGroup」

です。これは、過去の叡智と未来に懸橋を渡す

「ときをまたぐ」

と言う意味と、東北や北海道などで「狩猟を専業とし、
自然との共生をおこなう

「またぎ」

を掛け合わせた言葉です。

この様にして皆様のお役に立つことを念頭に

「人と自然とエネルギーの
    調和する未来の創造」


に向けて邁進してまいります。



関連会社

株式会社 土井電業
株式会社 procc
株式会社 夢新
パーカーズ・ピース株式会社
株式会社 Kozacara




先日社内でこのお題について少し話しをしました

『リーダーとはどの様なイメージでどの様な事をする人でしょうか?』

すると
・皆を引張る人
・全体を見る人
・責任を取る人
・計画を立てる人
・物事を改善する人
・他部署との調整を行なう人
etc

が上がってきました。

では、前に作業を細分化すると、総ての人がリーダーであると
書かせて頂きました

『では、皆はこのリーダー像の様な仕事の行い方を
一つの作業に対して行なっていますか?』

私は、このことは凄く大切なのだと思っています。
創業者やパワーのある人がリーダーの場合はどうしても、この様な
イメージで引張っていくでしょうし、周りもそれを期待しています。

その時、ふと思うのです。

『周りのみんなを受身にしてしまっている』
『先程のリーダー像に対して皆を 『くれない病』にしてしまっている』

先程のリーダー像に 「くれない」という言葉を付けると

・皆を引張っていってくれない
・全体を見てくれない
・責任を取ってくれない
・計画を立ててくれない
・物事を改善してくれない
・他部署との調整を行なってくれない
etc

と成ってしまします。

しかし、皆が本来リーダーであれば、受身には成らないはずだと思います

永続している企業には、カリスマ的なリーダーはあまり見受けられない
ように私は感じています。

確かに名だたる企業を創り上げた方々は、カリスマ的だったと思います

しかし、その後繁栄し永続している企業にはカリスマ的な方がいるというより
面で事を動かしているように思います。

そうすることが、本当の意味での 『良い会社』 なのだと思います

少し、昔のスイミーという国語で教えて頂いた物語を思い出して
しまいました。

最後までお読み頂き有難う御座います。

少しでも、皆様のお役に立てれば幸いです。

またまた更新です!

何となく気が向いた時に更新と成っていますことご了承下さいませ

では、本題の『どのステージ?でどのリーダータイプ?』についてです

リーダーには幾つかの種類があると言われています。

それは、
イニシアチブリーダー・・・主導権を握り、引張っていくタイプ

ビジョンリーダー・・・未来などのビジョンを描き皆を引張っていくリーダー

サーバントリーダー・・・皆の土台になって環境を整えるリーダー

と言われています。

創業者など『パワー』もった方々のリーダーはどうしても、
イニシアチブやビジョンに偏ってしまいます。

そして、皆が想い描くリーダー像も、この二つのリーダー像
が一般的だと思います。

ですが、ここで私が思うのは、『リーダーは一人なのか?』
と言うことです。

先日会社でこの様な朝礼をしました。
『給料は誰に貰っていると思いますか?』

この質問に、『会社』 『仲間』 『社長』 『お客様』 etc
などと意見が出ました。

正直、私は『これ程に価値観が違うのか!』とびっくりしてしまいました。

私は商売を幼少期から手伝っていたこともあり、お客様からお金を
頂戴してはじめて、自分の家庭にお金が入ってくることを、体感して
いたので、それは自身の中で『当たり前だ!』と思っていました。

なので、その朝礼の中でリーダーについての初歩の話しもしました

『積算に対するリーダーは誰ですか』

『◎◎さんです』

『では、見積を作るリーダーは誰ですか?』

『△△さんです』

『では、図面から数量を拾い出すリーダーは誰ですか?』

『□□さんです』

『ですよね』

これは、一つの作業に対しては『 皆がリーダー 』である
と言うことだと話しをしました。

少し、話しがそれましたが本題に戻ります。

人が人生においては幾つかのステージがあると言われています
それは、総てのことにおいて共通していて、

要は『起きたことや、見聞きしたことをどう捉え、どう受け取るか』
がその所属している集団のステージにより変ってしまうのだということです。

では、そのステージとは

ステージ 1・・・・人生は最低だ!

このステージの人は絶望的な程までに敵意をむき出しにして
暴力に満ちた不公平感を持っている。漠然とした不安や迷い
から来る『戦って生きている感覚』

ステージ 2・・・・私の人生は最低だ!

この段階の人は、『私の』 と成っていて、受身の反感を抱いて
おり、腕組みをして文句は言うものの、それを行動に結び付ける
ことはないし、基本的にあきらめムードや冷めている。
『受身の犠牲者感覚集団』である

このステージでの例は、会議などで新しい提案を意気込んで提案
した場合に、冷めた表情しかかえってこなかったら、その人たちは
このステージである

だから、『チーム作り』『士気を高めるスピーチ』『核となる価値観の議論』
『新戦略計画』など、いくら増やしても何の変化も起きにくい

ステージ 3・・・・私は素晴らしいが、あなたはそうではない!

一般的に上手く言っている方々はこのステージの方が多い
この段階の人は『自分は勝たなければいけない』と考えている

『個人という基準で競争相手の裏をかこう』とする

『個人プレーヤーの集まりである』

ステージ 4・・・・私たちは素晴らしいがあなた達はそうではない

これは、個人から手段に意識が向いている状態である
『同じ集団のメンバーと一緒に居ることを喜ぶ』

誰もが満たされた気持ちで、誠実であり、卓越している様に見える集団である

『このステージの欠点は「私たち」にあって周りに敵がいてる』
と言うことである

ステージ 5・・・・人生は素晴らしい

この段階の集団は、限りない可能性と、そのグループや個人が
志をもって団結しているというところにある

『それは、競争相手に打ち勝つ為ではない』

『可能性と競い合っているのである』


この様な集団ステージがあるのですが、

あなたの所属している集団は、どのステージでしょうか?

あなた自身のリーダーのタイプはどのタイプですか?

はやり、『使う言葉の大切さ』と『価値観の共有が大切』
なのだと私は思いました。

皆さんの少しの気付きに、お役に立てれば幸いです。


かなりご無沙汰しています

久々過ぎる更新ですが、弊社 今年の
7月1日で   


17歳

になりました!

企業生存率は

5年で15%と言われ、85%の会社様が倒産されます

10年で6.3%の生存率

20年で0.3%の生存率

30年ではなんと 0.025%

だそうです
(色々指標はあるのですが・・・)

指標的にはそうですが、
まだまだ17歳成長期だと思っていますので
より良い社会の創造に向けて粉骨砕身
尽力いたします!

皆でよりよい未来を!

家族である社員さんと共に

関わる企業様と共に

関わらない方々とも共に

命を繋いでいただいたご先祖と共に

総てのご縁に感謝しながら歩んでいきたいと
思っています。



~新人2人の体験報告~



この間、取引先の電材店の展覧会に行ってきました(。・ω・。)




思っていたより会場が広く

メーカーさんがたくさんいらっしゃって

照明器具や家電製品などカタログでしかみたことがない

たくさんの商品が並んでいて驚きました




家族連れの方も意外と多かったのですが・・・




子供さんの預り所も設けられていたので

お子さんがいるお父さんお母さんのことを想って

先の事まで考えているのを感じ

些細な心遣いに関心しました(。・x・)ゞ

私達も日々周りの人のことを想い行動していきたいと思います!!




お昼は屋台などもあったので

そこで昼食をとることに!





肉巻きおにぎりやたこやき、

焼きそばにラウンドフランクに唐揚げ

クレープや駄菓子など・・・

お店には長蛇の列ができているところも。

そして・・・ いざ実食( ′~‵)ŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”


美味しい食べ物達は、歩き疲れた私達の体を元気にしてくれました♪





そして最後のお楽しみ、抽選会!!

1等のディズニーペアチケットを見事に当てることができず
二人揃って4等のGRAND BOLONIYAの食パン半斤。。。

でも帰って食べてみると、ただの食パンじゃあーりません(๑ˇεˇ๑)•*¨*•.¸¸♪

美味しすぎてまたまた感動です( ✧Д✧) 







招待して頂いて本当にありがとうございました。








今回は、先日学んだ

『小善は大悪に似たり』『大善は非情に似たり』

ということについて書かせて頂きます。

この言葉は仏教の言葉らしいのですが、なにより
なるほどなーっと思う内容でした。

『小善は大悪に似たり』

この内容は、自己満足の為に行った善いこと(小さな善行)
は、それが善意から発した行動であっても、結果相手の
為に成っていないのであれば、結果相手の成長機会を
妨げる事であったり、相手を深く傷つける事になる。

と言う内容でした。

一方、

『大善は非情に似たり』

この内容は、本気で相手の事を大切に想い、相手の幸せや
自立などを願っていて、その考えのもと行った、厳しさや
突き放す行為や情け容赦ない態度や行動や決断をとること
は、誤解されることもある。

と言う内容でした。

これは、本当に納得できるものでした。

私は、小さな会社ですが経営させて頂いている中で
この様な事は、よくあることだと思います。

その時に重要となってくるのは、やはり判断基準を
明確にもっているかと、日々の言動や行動が大切
なのだと思います。

一般的によくある事例については、やはり、子育て
と同じである、上司と部下の関係だと思います。

職人の世界では、丁稚の時に厳しい親方がいて
その親方が居てくれたからこそ、今の自分がある

と言ったような事であったり、

子供を甘やかせて育てて、社会で自立できない
大人にしてしまうこと

があると思います。

本当の意味で、相手のことを想うとは、やはり

『自身と相手を分けずに考え、行動する』

ことであり

『日頃から、自己を律しているかどうか』

なのだと思います。

人は、いつの時代も好きこのんで嫌われるほど
人や物事に対し厳しさを以て接することを
避ける傾向にあると思います。

確かに、個人(私心)的な感情では、
『嫌われたくない』
『嫌なことは言いたくない』
『好意をもたれたい』
などの心理が働くと思います。

ですが、本気で相手の事を想うのであれば
『誤解されても、かまわない』
という勇気が必要だと思います。

それで、誤解されたり、恨まれたりして
縁が切れたとしても、相手のために
成るのであれば善いと考える事が大切です。

よって、私は会社の判断基準として

『人として正しいか?』

『その行為や言動に未来はあるか?』


を判断基準として、日々を積み重ね
努力を怠らないように努めているつもりです。

その方が、自分の廻りに相手が居なくなったとしても
その相手の人生において、必要であれば
冷たい人間だと思われたり、誤解を生んでも
行うべきだと思います。