3月10日に法政大学にて開催された「公開講座:ヒトとイヌのコミュニケーション ―ほめて育てるしつけの盲点―」に参加してきました。
一線でご活躍されている行動分析家同士のお話は、やはりとても刺激的で、改めて色々と考えさせられました。
この講座の大きなテーマが「機能分析」と「嫌悪刺激を使わずに、正の強化でやっていく」ということだったと思います。

イヌの行動的な問題や、いわゆるしつけというものを「正の強化でやっていく」ためには、やはり「機能分析」というのはこれ必須だろうと思うわけで。
しかし一方で、「ほめるしつけ」と呼ばれているものが、はたしてこの「機能分析」という視点を持っているか?というと、さてどうなんでしょうか?という、行動分析家からの一つの問いかけであったと思うんですね。
それはつまり「ほめる」と呼ばれている(あるいは呼んでいる)その行動の「機能」はなんですか?と。
「イヌの行動の機能」を考えるのはもちろんのこと、それだけではなく「ほめるという行動の機能=トレーナーがやろうとしている、あるいはやっていることの機能」も考えなければならないのではないですか?という問いですね。
ただ「よしよし」「いい子、いい子」と言っていれば、それは「ほめた」ことになるのか。
なんのために「よしよし」「いい子、いい子」と言うという行動をしているのか。
そこに、実は「盲点」があるのではないか。
そんな提案だったと感じました。

それをきっかけに色々と考えて、facebookにもアップしたんですけれど、こっちにも。


イヌの「行動的な問題の改善」や「しつけ」というミッションを「行動分析学に基づいて」やっていくということは、「嫌悪刺激を使用せず、正の強化でやっていく(正の強化を手段から目的へ)」ということでもあるんだね。きっとね。
行動分析学は、行動を「刺激-反応-強化」という、三項随伴性の枠組みで捉え、「行動とは、環境との繰り返しの相互作用の果てに表れるもの」と考える。
「ある環境設定によって、その行動が成立(存在)する」ということを前提とした行動観を持ってる。
そして、いわゆる「行動的な問題」や「しつけの問題」とは、「問題となっている行動を起こしてしまう環境設定が、そこにある(すなわち環境に問題がある)」ということであり、これはイコール「問題とならない(適切な)行動を成立させるために、そのイヌにとって必要な環境設定がそこに存在していない」ということでもある。
つまり、いわゆる「行動的な問題」「しつけの問題」とは、「適切な行動の不成立の問題」であって、「どうすれば適切な行動を成立させることができるか?」という問いがそこに存在することになると。
じゃあそうなるとだね、「行動的な問題」「しつけの問題」への対処ってのも、「イヌの行動を訓練でもって変化させて、今ある環境に適応させる」というような流れで行うってことにはならない。
あくまでも「行動は環境との相互作用」として捉えるのだから、「環境への働きかけ」を強く考えることになる。

一方で「嫌悪刺激を使う」ことは、「今、目の前で起こっている行動を、今ここで止める」という意味・機能を持っている。
そしてそれは「この行動は、この環境下において不適切な行動であるから、それを止めよう」ということの表れでもある。
でもこれは、「この環境」はそのままに、「イヌの行動を変えよう」という考え方。
でも、それは違うよねと。
じゃあ、その「今、目の前で起こっている行動を止めよう」と考えているのは誰か?
それは、飼い主であったり、トレーナーであったりする。
「嫌悪刺激を使う」という行動が生起する(してしまう)随伴性に巻き込まれている飼い主やトレーナー(つまりヒト)が存在してる。
ならば、その「嫌悪刺激を使うという行動が生起するような環境」を変える必要がある。

たとえば、「マンション飼育ですごく吠えて困ってる」って相談がきて、「今すぐ黙らせて欲しい」という依頼がきた場合、本当に「今すぐ黙らせる」ってことを狙おうと思ったら、嫌悪刺激を与えて文字通り「黙らせる」しかない。
これは「今すぐ黙らせて欲しい」というクライアントからの要求言語行動が確立操作(弁別刺激もかな?)になって、「嫌悪刺激を使う」という行動が生起する(で、負の強化で維持される)。
でも、実は「今すぐ黙らせて欲しい」という要求言語行動を生起させている随伴性ってのが、そこにある。
それはひょっとしたら、近隣住民からの「うるさい!」という苦情が確率操作となっているのかもしれない。
だったら、その「うるさい!」という苦情が来ないようになればどうか?
つまり「今、問題だと感じている人のその問題が、問題とならないような環境設定」をすれば、「今すぐ黙らせる」という必要はなくなる。

その後は「正の強化」の随伴性で、回していくことができるって、まあ結構楽観的に考えちゃってる部分もあるんですけど。
でも、それが行動分析学でやってくってことなんじゃないか?って思うんだぬ。