僕としては、こういうエントリを書くのはあまり好きではないのですけれど、それでもちょっと気になるので書きます。

その気になってるのは何か?っていうと、ずばり「レスポンデント」と「オペラント」。
なんかここ1ヶ月ぐらいですかねぇ、やけに周りで「レスポンデントはー」「オペラントはー」みたいな話を聞くのです。
それは直接飼い主さんから質問を受けることもあれば、又聞きだったり、ブログとかSNSなんかで見たり読んだり。
でまあ、個人的にネットをうろうろしてみたら、「強化」とか「弱化(罰)」みたいに、結構出てくるキーワードになりつつあるのかなぁ?という印象があります。
ただ、ネットで見かける文章は、間違っていたり、そもそもよくわからずに書いてるように感じられるものが多いんですね。
これはちょっとなぁと。
そんなわけで、レスポンデントとオペラントについて。


レスポンデントとオペラントっていうのは、昔B.F.スキナーという心理学者(行動分析学の祖)が、動物の反応(行動)をその2種類に大別したところが始まりです。
じゃあ、どのように区別されたのか?というと、簡単なものとしては↓のような感じ。


  レスポンデント反応:反射的反応(行動)
  オペラント反応:自発的反応(行動)


心理学の歴史的な経緯でいえば、ワトソンという人が「心理学は行動の科学であるべきだ」と主張し、その主張においてパヴロフの実験を引用し(メトロノームの音で、犬の唾液が出たってやつね)、「動物の行動というのは、こういう『反射的な行動の集まり』なんだ」と主張しました。
ところが、この主張では「自発的な行動」がまったく説明できない。
そこで、スキナーという人が「反射的な反応=レスポンデント反応」「自発的な反応=オペラント反応」という風に区別したんですね。

レスポンデント反応の代表的な例としては、いわゆる「かっけの検査」があります。
ヒザの皿の下あたり?を、コツンとやると、足がピョンと動くあれですね。
あるいは、「目に強く空気を吹きかける」なんてことをやると、誰でも瞼を閉じます。
これも、レスポンデント反応。
つまり、こういうこと。


 レスポンデント反応:何らかの刺激に対して、反射的にどうしてもやっちゃう反応


そして、「レスポンデント条件づけ」というのは、そういった「どうしてもやっちゃう反応を引き起こす刺激(無条件刺激)」と、「全然関係ない刺激(中性刺激)」とを条件づけて、新たに「どうしてもやっちゃう反応を引き起こす刺激を作る(条件刺激)」手続きのことを指します。

一方のオペラント反応ってのは、一般に僕らが「行動」と呼んでるものです。
歩く、喋る、手を振る、投げる、飛ぶ……みたいな。
これらの反応は、別に何らかの刺激がなくても、自発されます。
つまり、こういうこと。


 オペラント反応:反応の前に刺激がなくても、自発的に起こる反応


簡単な解説としては、まあこんなところなんですけれど、実は↑の「レスポンデント」「オペラント」の解説は大体合ってるんですけど、ちょっと足りないって感じです。
よって、↑のような解説だけで理解してる人は、勘違いをしてしまいがちです。
結構多い勘違いは「反射的な反応=レスポンデント」というもの。
僕が見たものの中には、「これは、チャイムという刺激に対して反射的に吠えているので、レスポンデント反応です」なんてものがありました(どこで見たのかは失念)。
これは間違いですからね。
もしも実際にレスポンデント反応だとしても、この説明の仕方は間違っています。
そんなわけで、もうちょっと詳しいお話をば。

レスポンデント反応とオペラント反応を区別するポイントは、「反応の前か、反応の後か」です。

まず、レスポンデント反応から考えましょうか。

レスポンデント反応ってのは、その反対で、キーになるのは「反応の前」です。
ある刺激が提示されたら、もう自動的にやっちゃいます。
これを専門的には「誘発(elicit)」といったりします。
つまり、「ヒザの皿の下をコツンとやる→足がピョンと上がる」「目に空気を強く吹きかける→瞼を閉じる」みたいなのは、「レスポンデント反応」ということになるんですね。

では、次にオペラント反応。
オペラント反応っていうのは、「オペラント条件づけで、条件づけられる反応」のことをいいます。
じゃあ、「オペラント条件づけ」って何か?ってぇと、「反応の直後の結果を操作して、その反応の今後の消長を変容させるような手続き」のことをいいます。
ものすごーく簡単に噛み砕いていえば「行動の後で何かやって、その行動が増えたり減ったりするような作業」のことを、「オペラント条件づけ」というわけです。
てことはつまり、「オペラント反応」っていうのは、「反応(行動)の後で何かやって、その反応(行動)が増えたり減ったりするような反応(行動)」のことをいいます。
もーっと噛み砕くとですね、「行動の後で、褒めるとか叱るとか無視するとかしたら、その行動が増えたり減ったりするような行動=オペラント反応」ということになります。


はい、ここまではいいですか?
では、実際に日々の生活の中で、犬の反応や人の反応を「オペラントか?レスポンデントか?」と見極めるには、どうしたらいいんでしょう?
実は↑に答えは書いてあるんですけどね。

それは、「繰り返し、見る」ってことです。

「オペラント反応」のところをもう一度確認してみましょう。
「反応の後で何かやって、その反応が増えたり減ったりする」のが、「オペラント反応」でした。
これ、1回見ただけじゃわからないってこと、おわかりになりますか?

手順を以下に示しましょう。

  1 ある反応があります
  2 その反応の後で何かやります
  3 観察します
  4 増えた/減ったというのが起こりました
  5 これはオペラント反応ということになります

見極めようと思ったら、反応の後に何かをやって、一旦「観察する」というのが必要になります。
でないと、「反応が増えたのー?減ったのー?変わらないのー?」というのがわかりません。
で、1回何かやっただけで、すぐに変わってくれることもあれば、なかなか変わらないこともあります。
よって、「繰り返し、見る」ってのが必要なんですね。


でね。
このエントリで強調したいのは、この「繰り返し、見る」ってことです。
先日来のエントリでも、何度も何度も書いてる言葉ですね「繰り返し」。
これ!これが大事なんです。

「行動分析学入門」(杉山、島宗、佐藤、マロット、マロット、1998年、産業図書)263ページにも、以下のような記述があります。


刺激の機能は、反応の種類から判別できるとする心理学者もいる。反応が腺や平滑筋の活動ならばレスポンデントだし、骨格筋の活動ならオペラントであると判断するわけだ。確率的には正しいことが多いが、前述のように例外も存在する。刺激の機能を正確に知るには、あくまで条件づけの歴史を知らなければならない。
(中略)
また、反応には、平滑筋、腺、骨格筋のすべてを含むものも多い。泣く反応や嘔吐する反応はその1例である。したがって反応の種類だけからそれを引き起こしている刺激の機能を推定するのは危険である。


これは、「ある反応の前に先行している刺激が、条件刺激なのか、弁別刺激なのか?」という文脈での話なので、内容が「刺激の同定」というものになっていますが、ここで大事なことは「反応の種類だけで決めるのはダメよ」ってことと、「これまでの歴史を見なきゃダメよ」ってことです。

つーまーりー。
「一回見ただけでわかる」ってもんじゃないってことです。
いやまあ、大体は合ってることが多いんですけど、でも、厳密にはそれは間違ってるんですね。
「繰り返し見ないと正確なことはわかんないよ」ってことです。
だから、先に挙げたような「チャイムに反射的に吠えてるから、レスポンデント」なんてのは、間違いなわけです。
そして、この「繰り返しの視点」が欠けている人、すごく多いんです。
強化随伴性にしても、反応の区別にしても。

でね、このブログの読者の方には是非覚えておいていただきたいなと思うんですけれども、行動分析学においてもっとも大事なことが、この「繰り返し、見る」ってことなんです。
ここは絶対に外せないところなんですね。
これがあるから、行動分析学が科学を名乗れるわけで。
この視点を抜きにして、行動分析学はなかなか理解できないと思います。
僕が先日来もやもやしていたのは、これ。
オペラントやレスポンデント、強化や弱化、その他の色々なテクニックについて言ってるとしても、この「繰り返し」の視点が欠けていたら……んー惜しいんですよねー。

行動分析学は、常に「1回見ただけじゃわかんない」って立場を取り続けるんです。
これが、「科学」なんですよ。
そして、実はこの態度こそが、相手に寄り添ってることになると思うんですよね。
コミュニケーションとか、相互理解とかってのは、これ、終わりのないかかわり、すなわち「プロセス」なんですよ。
終わりのないプロセスだからこそ、常に向き合い続ける、ずーっと付き合っていく、「ごめん、よくわかんないから、もうちょっと長く付き合ってもいい?」っていう態度が大事だと思うんですよね。
これは、誰がなんと言おうとそうだと思う。
だって、「コミュニケーション」なんだから。
「コミュニケーション」は、「相互のかかわり」なんだから。
終わりはないんですよね。
「わかった」なんていうのは、ないんですよね。
「わかんない」なんですよ。
でも、そこで「どうせわかんないし」で諦めたり、シャットアウトしちゃうって話じゃあまりにも寂しい。
だからこそ、「付き合い続ける」「向き合い続ける」ってことだと思うし、それが「イヌに、相手に寄り添う」ってことなんだろうと思うんですよねっと。
でまあ、その終わりのないかかわりを支えるのが、実はトレーナーってのが僕の持論。


先日のエントリで書いてたのは、まあこういうことだったりもするんですけど。
つまりこの辺のことを、ずーっとこの1ヶ月ぐらい考えてきてたんです。
でもまあ、それはまた、別の話。
また改めて書こうと思います。
行動分析学は、実は「行動の科学」ではなく「関係の科学」「かかわりの科学」「共生の科学」っていうね
「関係の科学」って、ちょっと面白いと思いません?うふふ。


ちなみに、次回の関西のかいぬし塾では、この「レスポンデント」を扱います。
色々とお話させていただく予定ですので、よろしければどうぞー。
ではではー。