虫一郎さんからコメントを頂戴しまして、別エントリで回答差し上げた方がよかろうということで、別エントリあげます。
これは結構すごく大事なことに絡んでくることだと思うので。
まずは、頂戴したコメントより抜粋。
「消去バーストは学習性無気力ではないのか?」と質問させていただきました。
だからこそなのですが「私は消去バーストは使いたくないな~」と思いました。
「消去バースト」は学習性無気力ではないことはキチンと分かりました。
でも、犬に諦めさせることである…とのこと、それではワガコには使いたくないな…という私の気持ち。
これに応えて下さるトレーナーさんであることが、飼主にとって最も大切なことなのです。
専門家の方にはキチンと勉強していただきたい、と私も思います。
これらのズレが、先生のモヤモヤと関係があるような気がするのです。
まず「消去バースト」とは、「現象」の名前であり、行動変容のテクニックではありません。
「消去」という随伴性にさらされると、「反応が爆発的に増大する現象」を「消去バースト」というんであって、意図的であろうとなかろうと、「消去」が起これば、同時に起きます。
ですので、「使いたくない」という表現はちょっと違うんではないかなと思います。
使いたかろうが使いたくなかろうが、消去バーストは起こりますから。
また、これが「消去バースト」ではなく「消去」だと考えてみます。
「諦めさせる」というのは、まあその通りです。
多分、僕もそのようにお答えしたんだろうと思います。
ただ、これはとても大事なことなので、きちんとご理解いただきたいんですが。
「消去」も、「現象」の名前です。
そして、これもまた、虫一郎さんの周りで、おそらくあなたの知らないところでたくさん起こっています。
たとえば、「シェイピング」はされますか?
これは、「消去」と「強化」のあわせ技です。
強化のフェイズと消去のフェイズを交互に行うことで、新たな反応を形成していくわけです。
消去も、消去バーストも起こっています。
あるいは「適切な行動をしっかり褒める」ということは、よくされていると思います。
これは同時に、「適切ではない行動に対して、強化が起きない」という対応をされていることになります。
つまり、「適切ではない行動は消去される」ということになります。
そして、ここでも消去も、消去バーストも起こります。
もしも消去が起こってないのなら、「適切でない反応」は残り続けますので。
他にも、きっと様々な場面で、数え切れないほど「消去」も「消去バースト」も起こっています。
「意図的に使いたくない」ということなのかもしれませんが、上記したように「適切な反応を褒める」というごく当たり前の対応をするだけでも、その「適切な反応」以外の反応は「消去」されます。
座っているときに褒める=それ以外の反応を消去
ゆっくり歩いているときに褒める=それ以外の反応を消去
吠えていないところを褒める=吠えるという反応を消去
「要求吠えが出るまえに褒める」という場合でも、結果的に「要求吠え」を消去していることになります。
強化と表裏一体な感じなんですね。
で、ここからがとても大事なこと。
セミナーの性格上、どうしても「行動を変える」という文脈でお話をせざるを得ない部分があります。
なので、このような疑問というか、誤解が起こってしまうのだと思います。
ですが、「消去」も「消去バースト」も、「強化」も「弱化」も、行動分析学における他の諸概念もすべて「行動の現象を記述したもの」です。
行動分析学が「消去」や「消去バースト」を作ったわけではありません。
「行動がゼロ(正確にはオペラントレベル)になる」という現象がまずあった。
その現象のことを、「消去」と呼んでいるだけの話です。
僕がもやもやしているのは、まさにこの部分です。
今回、虫一郎さんは「消去バーストは使いたくない」と、あたかも「行動変容の一つのテクニック」であるかのように表現されました。
しかし、上述したように、消去バーストはあくまでも「現象」であり、「テクニック」ではありません。
そして、僕がもやもやしているのはここなんですね。
まるで行動分析学が、「行動変容のテクニックの寄せ集め」であるかのように、考えている人がいる。
飼い主さんがそのような印象を持ってしまうのは、専門家の伝え方が悪いからです。
なので、今後もっと精進しなくてはと襟を正しているところです。
しかし、専門家の中にも同様に考えている人が多い。
あまりにも表面的で、浅くしか理解していない人が多い。
そこに、もやもやしているんです。
行動分析学は、間違いなく「行動を変える」ということについては、かなりの力を持つ科学です。
しかし、だからといって、「行動を変えるテクニックの寄せ集め」ではありません。
あくまでも、「行動と、環境とのかかわり」を、視ていく一つの科学なんです。
随伴性というもので、「世界を記述したもの」が「行動分析学」なんです。
つまり、「この世界(中の行動)を理解するための一つの枠組み」が、「行動分析学」なんです。
僕が最近繰り返し言ってることは、まさにこのことなんです。
で。
「消去バースト」は学習性無気力ではないことはキチンと分かりました。
でも、犬に諦めさせることである…とのこと、それではワガコには使いたくないな…という私の気持ち。
これに応えて下さるトレーナーさんであることが、飼主にとって最も大切なことなのです。
まず前提として、繰り返しになりますが「諦めさせることが消去バースト」ではなく、「諦めたこと、諦めるまでの過程を、消去とひとまず呼んでおこう」ということですんでね。
ま、それはそれとして。
上述したように、「消去」はいたるところで起こっています。
これらがまったく起きないようにやる方法は、多分ありません。
あ、一つあるかもしれません。
それは、「罰を与えまくる」というもの。
これなら、消去が起こる前に、反応をゼロにすることができます。
つまり、学習性無力感ですね。
でも、これはもっと嫌ですよね。
消去を使いたくないといっても、どうしたって起こる。
罰を与えまくるというのも無理。
じゃあ、どうしましょう?となりますね。
そこで、こう考えてみられてはいかがでしょうか?
「別のやり方があるんだと、イヌが自然と気づくチャンス」
たとえば。
エレベーターに乗って、行き先階のボタンを押し、閉ボタンを押してもドアが閉まらない。
まさに「消去」です。
するとどうなるか?
何度も閉ボタンを押します。
これが「消去バースト」です。
じゃあ、その後は?
諦めて、エレベーターの中で動かなくなってしまう?
そんなことはあり得ません。
別の方法を選択しますよね。
これと同じなんです。
どうも文面からは、「消去」を「イヌの思いをシャットアウトする方法」という風に考えてらっしゃるような印象を受けます。
違ってたらすみません。
でも、もしもそうだとしたら、これ、僕は逆だと思います。
「消去」は、「強化子」がなんであるかがわかってはじめて、起こる現象です。
つまり、「行動の原因」がわかるということ。
「なんのためにそれをしているのか?」がわかるということ。
「その行動の目的」がわかるということ。
これはすなわち、「イヌの思いがわかる」ということ。
つまり、シャットアウトじゃないと思うんです。
むしろ逆で、「イヌの思いを真正面から受け止める」行為だと思います。
そして、わかった上で、真正面から受け止めた上で、「私はあなたにこうして欲しい」と、こちらの思いを「違う行動を褒める」という形で伝えるわけです。
そして消去に出会ったイヌは、エレベーターで行くことはやめて、階段を選択するかのように、別の違う「やり方」を選択するわけです。
同じ行動を何度も繰り返すということは、言い換えれば「そのやり方、方法しか知らない」ということです。
でも、消去に出会うことで、「そうか、別のやり方があるんだ」と、気づくことができる。
行動の選択肢が、拡大する。
あとは、飼い主さんが、それを「正の強化」で維持していく。
一番大事なのは、この相互の繰り返しのやり取り、かかわりだと思います。
今回、こうしてコメントをいただいて、本当にありがとうございます。
これからも、なんとか頑張ってお伝えしていきますので、なにとぞひとつよろしくお願いします。
さて、以下は虫一郎さんへではなく、他の方、特にプロのトレーナーさんに向けて。
もう、これは何度も何度もいいます。
行動分析学は、行動を変えるためのテクニックの寄せ集めではありません。
もしもそのように理解されている方がいるのなら、それは誤解か、理解が浅いといわざるを得ません。
行動分析学は、行動というものを通して、世界を、人を、動物を理解しようとするための学問です。
僕がもやもやしているのは、ここです。
はっきり言ってね、テクニックなんかどうでもいいんですよ。
行動分析学知らない人でも、うまい人はいくらでもいるんですから。
そういう人には、別に必要のない知識なのかもしれない。
でも、それでもあえて「行動分析学を選択する意味」ってのがあるわけなんです。
それが、↑に書いてきたようなことです。
消去を「行動を減らす方法」だと思っているのなら、それは違います。
強化を「行動を増やす方法」だと思っているのなら、それも違います。
行動分析学を「行動を変える方法」だと思っているのなら、まったくの間違いです。
どうか、ここは本当にきちんとご理解いただきたい。
特に、プロと呼ばれる方々には。
長くなってしまったー。
これは結構すごく大事なことに絡んでくることだと思うので。
まずは、頂戴したコメントより抜粋。
「消去バーストは学習性無気力ではないのか?」と質問させていただきました。
だからこそなのですが「私は消去バーストは使いたくないな~」と思いました。
「消去バースト」は学習性無気力ではないことはキチンと分かりました。
でも、犬に諦めさせることである…とのこと、それではワガコには使いたくないな…という私の気持ち。
これに応えて下さるトレーナーさんであることが、飼主にとって最も大切なことなのです。
専門家の方にはキチンと勉強していただきたい、と私も思います。
これらのズレが、先生のモヤモヤと関係があるような気がするのです。
まず「消去バースト」とは、「現象」の名前であり、行動変容のテクニックではありません。
「消去」という随伴性にさらされると、「反応が爆発的に増大する現象」を「消去バースト」というんであって、意図的であろうとなかろうと、「消去」が起これば、同時に起きます。
ですので、「使いたくない」という表現はちょっと違うんではないかなと思います。
使いたかろうが使いたくなかろうが、消去バーストは起こりますから。
また、これが「消去バースト」ではなく「消去」だと考えてみます。
「諦めさせる」というのは、まあその通りです。
多分、僕もそのようにお答えしたんだろうと思います。
ただ、これはとても大事なことなので、きちんとご理解いただきたいんですが。
「消去」も、「現象」の名前です。
そして、これもまた、虫一郎さんの周りで、おそらくあなたの知らないところでたくさん起こっています。
たとえば、「シェイピング」はされますか?
これは、「消去」と「強化」のあわせ技です。
強化のフェイズと消去のフェイズを交互に行うことで、新たな反応を形成していくわけです。
消去も、消去バーストも起こっています。
あるいは「適切な行動をしっかり褒める」ということは、よくされていると思います。
これは同時に、「適切ではない行動に対して、強化が起きない」という対応をされていることになります。
つまり、「適切ではない行動は消去される」ということになります。
そして、ここでも消去も、消去バーストも起こります。
もしも消去が起こってないのなら、「適切でない反応」は残り続けますので。
他にも、きっと様々な場面で、数え切れないほど「消去」も「消去バースト」も起こっています。
「意図的に使いたくない」ということなのかもしれませんが、上記したように「適切な反応を褒める」というごく当たり前の対応をするだけでも、その「適切な反応」以外の反応は「消去」されます。
座っているときに褒める=それ以外の反応を消去
ゆっくり歩いているときに褒める=それ以外の反応を消去
吠えていないところを褒める=吠えるという反応を消去
「要求吠えが出るまえに褒める」という場合でも、結果的に「要求吠え」を消去していることになります。
強化と表裏一体な感じなんですね。
で、ここからがとても大事なこと。
セミナーの性格上、どうしても「行動を変える」という文脈でお話をせざるを得ない部分があります。
なので、このような疑問というか、誤解が起こってしまうのだと思います。
ですが、「消去」も「消去バースト」も、「強化」も「弱化」も、行動分析学における他の諸概念もすべて「行動の現象を記述したもの」です。
行動分析学が「消去」や「消去バースト」を作ったわけではありません。
「行動がゼロ(正確にはオペラントレベル)になる」という現象がまずあった。
その現象のことを、「消去」と呼んでいるだけの話です。
僕がもやもやしているのは、まさにこの部分です。
今回、虫一郎さんは「消去バーストは使いたくない」と、あたかも「行動変容の一つのテクニック」であるかのように表現されました。
しかし、上述したように、消去バーストはあくまでも「現象」であり、「テクニック」ではありません。
そして、僕がもやもやしているのはここなんですね。
まるで行動分析学が、「行動変容のテクニックの寄せ集め」であるかのように、考えている人がいる。
飼い主さんがそのような印象を持ってしまうのは、専門家の伝え方が悪いからです。
なので、今後もっと精進しなくてはと襟を正しているところです。
しかし、専門家の中にも同様に考えている人が多い。
あまりにも表面的で、浅くしか理解していない人が多い。
そこに、もやもやしているんです。
行動分析学は、間違いなく「行動を変える」ということについては、かなりの力を持つ科学です。
しかし、だからといって、「行動を変えるテクニックの寄せ集め」ではありません。
あくまでも、「行動と、環境とのかかわり」を、視ていく一つの科学なんです。
随伴性というもので、「世界を記述したもの」が「行動分析学」なんです。
つまり、「この世界(中の行動)を理解するための一つの枠組み」が、「行動分析学」なんです。
僕が最近繰り返し言ってることは、まさにこのことなんです。
で。
「消去バースト」は学習性無気力ではないことはキチンと分かりました。
でも、犬に諦めさせることである…とのこと、それではワガコには使いたくないな…という私の気持ち。
これに応えて下さるトレーナーさんであることが、飼主にとって最も大切なことなのです。
まず前提として、繰り返しになりますが「諦めさせることが消去バースト」ではなく、「諦めたこと、諦めるまでの過程を、消去とひとまず呼んでおこう」ということですんでね。
ま、それはそれとして。
上述したように、「消去」はいたるところで起こっています。
これらがまったく起きないようにやる方法は、多分ありません。
あ、一つあるかもしれません。
それは、「罰を与えまくる」というもの。
これなら、消去が起こる前に、反応をゼロにすることができます。
つまり、学習性無力感ですね。
でも、これはもっと嫌ですよね。
消去を使いたくないといっても、どうしたって起こる。
罰を与えまくるというのも無理。
じゃあ、どうしましょう?となりますね。
そこで、こう考えてみられてはいかがでしょうか?
「別のやり方があるんだと、イヌが自然と気づくチャンス」
たとえば。
エレベーターに乗って、行き先階のボタンを押し、閉ボタンを押してもドアが閉まらない。
まさに「消去」です。
するとどうなるか?
何度も閉ボタンを押します。
これが「消去バースト」です。
じゃあ、その後は?
諦めて、エレベーターの中で動かなくなってしまう?
そんなことはあり得ません。
別の方法を選択しますよね。
これと同じなんです。
どうも文面からは、「消去」を「イヌの思いをシャットアウトする方法」という風に考えてらっしゃるような印象を受けます。
違ってたらすみません。
でも、もしもそうだとしたら、これ、僕は逆だと思います。
「消去」は、「強化子」がなんであるかがわかってはじめて、起こる現象です。
つまり、「行動の原因」がわかるということ。
「なんのためにそれをしているのか?」がわかるということ。
「その行動の目的」がわかるということ。
これはすなわち、「イヌの思いがわかる」ということ。
つまり、シャットアウトじゃないと思うんです。
むしろ逆で、「イヌの思いを真正面から受け止める」行為だと思います。
そして、わかった上で、真正面から受け止めた上で、「私はあなたにこうして欲しい」と、こちらの思いを「違う行動を褒める」という形で伝えるわけです。
そして消去に出会ったイヌは、エレベーターで行くことはやめて、階段を選択するかのように、別の違う「やり方」を選択するわけです。
同じ行動を何度も繰り返すということは、言い換えれば「そのやり方、方法しか知らない」ということです。
でも、消去に出会うことで、「そうか、別のやり方があるんだ」と、気づくことができる。
行動の選択肢が、拡大する。
あとは、飼い主さんが、それを「正の強化」で維持していく。
一番大事なのは、この相互の繰り返しのやり取り、かかわりだと思います。
今回、こうしてコメントをいただいて、本当にありがとうございます。
これからも、なんとか頑張ってお伝えしていきますので、なにとぞひとつよろしくお願いします。
さて、以下は虫一郎さんへではなく、他の方、特にプロのトレーナーさんに向けて。
もう、これは何度も何度もいいます。
行動分析学は、行動を変えるためのテクニックの寄せ集めではありません。
もしもそのように理解されている方がいるのなら、それは誤解か、理解が浅いといわざるを得ません。
行動分析学は、行動というものを通して、世界を、人を、動物を理解しようとするための学問です。
僕がもやもやしているのは、ここです。
はっきり言ってね、テクニックなんかどうでもいいんですよ。
行動分析学知らない人でも、うまい人はいくらでもいるんですから。
そういう人には、別に必要のない知識なのかもしれない。
でも、それでもあえて「行動分析学を選択する意味」ってのがあるわけなんです。
それが、↑に書いてきたようなことです。
消去を「行動を減らす方法」だと思っているのなら、それは違います。
強化を「行動を増やす方法」だと思っているのなら、それも違います。
行動分析学を「行動を変える方法」だと思っているのなら、まったくの間違いです。
どうか、ここは本当にきちんとご理解いただきたい。
特に、プロと呼ばれる方々には。
長くなってしまったー。