リーダー論について~の3回目のエントリです。

ちょっと間が空きました。
思い切り風邪を引いてしまいまして、PCに向かう気力も湧かず…といった状態です。
しかも、多分黄砂の影響で、鼻と目がやられ、さらに喘息まで出るという苦行状態。
早くなんとか体調を整えたいと思います。

あ、さてさて。

ここ最近は、「飼い主がイヌのリーダーにならなければならない」とする、いわゆる「リーダー論」に対する批判や、ギモンが随分と呈されるようになってきました。
実際、お会いする飼い主さんや、トレーナーさんの中にも「リーダー論はおかしい」という考えを持ってらっしゃる方が、多くなってきています。
しかし、そうした方たちがいらっしゃる一方で、未だに「リーダー論」を支持する方々も多いのですよね。
リーダー論へのギモンや批判、なぜこうした考え方がなくならないのか?ということについて、以前いくつかのエントリを挙げました。
振りかえって読んでみると、ここまで書いてたこと全部、しかもより詳しく書いてあったので、今更新規エントリをあげる必要なかったなとか…
ま、興味のある方は、下記のエントリも合わせてお読みください。


しつけに「祖先」はそんなに重要か?
なんでーこんなーに、受け入れるのかーよぉー(いわゆる「リーダー論」を) その1
なんでーこんなーに、受け入れるのかーよぉー(いわゆる「リーダー論」を) その2
なんでーこんなーに、受け入れるのかーよぉー(いわゆる「リーダー論」を) その3
なんでーこんなーに、受け入れるのかーよぉー(いわゆる「リーダー論」を) その4
なんでーこんなーに、受け入れるのかーよぉー(いわゆる「リーダー論」を) その5
なんでーこんなーに、受け入れるのかーよぉー(いわゆる「リーダー論」を) その6
主従関係、信頼関係を考える
主従関係、信頼関係を考える その2
主従関係、信頼関係を考える その3
主従関係、信頼関係を考えたあとで

※上記の一連のエントリと、今回の「リーダー論について2011」シリーズを、「リーダー論・○○関係方面 」というカテゴリテーマに分類、整理しました


ということで、「リーダー論がなくならない理由」です。

上記の過去エントリでも触れているのは、以下のようなものです。


・「訓練」との親和性が高い

今では「しつけインストラクター」や、僕のような「問題行動を専門的に扱うトレーナー」というのも増えてきましたが、以前はしつけも訓練も問題行動も、すべて「訓練士」と呼ばれる人たちが行っていました。
一般には、しつけも訓練も調教も問題行動改善も、一緒くたになっていることが多いかとは思いますが、これらはそれぞれ別のものと考えて良いですし、僕は別物だと考えています。
ま、それはそれとして。
「訓練」においては、「指導手(ハンドラー)の指示に、しっかりと従う」ことが求められます。
そのミッションの過程において、「イヌを服従させねばならない」という考え方は、とても相性がよいものです。
なんせ「従わせる」わけですから。
そうすると、そのような考えに基づいた人たちが、「しつけ」とかを語るわけですから、当然「イヌのリーダーにならねばならない」というリーダー論が支持されていきやすいというのも確かにあったろうと思います。


・とてもわかりやすい

誰かに何かを説明する際に「わかりやすい」というのは、とても大切なことです。
そして、わかりやすい話は、受け入れられやすい話でもあります。
その点で、この「リーダー論」は、実にわかりやすいですよね。
「リーダー(ボス)となるトップがいて、その下に従っている」というモデルは、私たち人間社会においても、よーく見られますし。
なので、広まりやすいでしょうね。


・実際に効果があったりする

リーダー論に基づく方法をやってみると、実際に効果があったりします。
ホールドスチールや、マズルコントロール、服従訓練などを行うと、「イヌが大人しくなる」ことは、実際にあります。
実際に効果があるもんですから、当然実践した人は「リーダー論は正しい」と感じてしまいます。
当然、広まる可能性も上がるでしょう。


・錯覚、思い込み

実際に効果があったりする「リーダー論」ですが、だからといって「やっていることが効果があるから、その裏側の理論も正しい」とはなりません
たとえば、僕がイヌの噛みつきをなおしたとして、それが「TaKaYaMaのオーラがイヌの精神に働きかけた結果だ」と言ったとしたら、あなたは信じるでしょうか?
まず信じませんよね?(いや、信じちゃう人もいるかもしんない)
でも、実際には「なおって」いたりする。
こうなると、オーラトレーナーのTaKaYaMa氏は、「やはり私のオーラパワーが働きかけたのだー」と、錯覚してしまったりします。
これと同じことが、リーダー論の実践においても起こっています
ホールドスチールなんてのは、その典型でしょう。
ホールドスチールを根気よく行えば、確かに「押さえつけられても暴れずに、じっとしているイヌ」になります。
なりますが、それは単純に「暴れる」という反応が消去、または弱化されただけの話です。
しかし、「リーダー論信者」の人から見れば、その「じっとしているイヌ」は、「飼い主に服従している」とか、「飼い主をリーダーと認めた」とか、「イヌの心の中に服従心が芽生えた」と、錯覚してしまいます。
そしてその「錯覚、思い込み」は、どんどんと強化されていくことになります。

※消去、弱化
行動分析学における行動原理。
消去は「反応が消える」ことを指し、弱化は「反応が減少する」ことを指す。


・どうとでも解釈できる

リーダー論において「上下関係」とか「主従関係」というものは、特に重視されます。
また、「イヌの服従本能」とか、「服従心」とかいうものも、重視されます。
しかし、これらは「目に見えない」ものです。
目に見えないので、先に例として挙げた「オーラ」となんら変わりません。
つまり、「どうとでも解釈できる」わけです。

そして、この「どうとでも解釈できる」というのが、「リーダー論がなくならない」ことの、とても大きな要因の一つです。
そんなわけで、こちら。


7.リーダー論は無敵理論

これまでに書いたように、「飼い主がリーダーになる」という考えのもとでは、「しつけやトレーニングが、うまくいくもいかないも飼い主次第」ということになります。
仮にうまくいかなかったとしても、それは「イヌのリーダーになれていない、飼い主が悪い」と言えてしまうわけです。
まあ、実際にはここまで直接的な表現をする人はいないでしょうけども、でも似たようなことはきっとあると思います。

たとえば、あなたがトレーナーさんに「なかなか賢くならないんですけど…」と、言います。
でも、トレーナーが持つと賢い。
そこでトレーナーが言うわけです。
「この子はちゃんと出来ますからね。イヌは人を見ますからね。この子から、早く認められるリーダーになりましょう」

これは言い換えれば、「リーダーになれていない、あなたに問題がある」という考えそのものであることがわかります。


 このイヌはトレーナーの言うことを聞く→トレーナーを認めている
 このイヌは飼い主の言うことを聞かない→飼い主を認めていない
  ↓
 このイヌに認められる飼い主になりましょう
 =認められていない飼い主に問題がある


しかしこれは、あくまで「解釈」に過ぎません。
実際にイヌが「飼い主をリーダーとして認めているのかどうか」なんて、誰にもわかりません
イヌに聞いたところで、絶対に答えてくれませんから(「いや、わかる」という人は、その根拠を是非教えてください)。
ですから、この「リーダーだと認めている」というのは、「確かな現象」でもなんでもなく、言い方は悪いですが「ただの妄想」と同じです。
「主従・上下関係が築けた」も、「服従本能に働きかけた」も、「服従心が芽生えた」も、「オーラがイヌの心に働きかけた」も、「大天使ほにゃららの宇宙神秘パワーのなせるわざ」も、全部同じ「解釈」です。
解釈というのは、そういうことです。

そしてこの「解釈」は、トレーナーにとって実に有利に働きます
「実体がない、確認できていないもの」を、解釈しているに過ぎませんから、何をどう突っ込まれても、いくらでも言い逃れができます。
「こんなに頑張ってるのに、ちっともよくならないのは、あなたのやり方が間違ってるからじゃないんですか?」と仮にいわれたとしても、余裕のよっちゃんです(古)。
たった一言、こういえばいいんです。


「飼い主であるあなたが、リーダーになっていない」


これは、実に「強力だ」といえるでしょう。

しかもそこに、「実際に効果があったりする」なんてこともあるわけですから。
いってみれば、スターを取ったマリオが、無限1UPをし続けるようなもんです。


そしてこのことが、「リーダー論がなくならない理由」の一つだと、最近は考えています。


ちなみに、「愛情を注ぐ」とか、「信頼されるリーダーになる」とか、「信頼関係を築く」といった、「目に見えないもの」を軸に置いた考え方は、すべてこのような形で言い逃れができる構造を持っています
ですので、こうした考え方には注意が必要です。


でもねー、これはある程度しょうがないっちゃしょうがない部分もあるとは思うんですよね。
トレーナーだって人の子ですから、当然環境からの影響を受けます。
そして、そのトレーナーの属する文脈において、「突っ込まれても痛くも痒くもない考え、方法論」ってのは、実に強力。
更に、「効果が出ることもある」わけですから。

「行動修正家も、コンテクストの影響を受ける」という話がありますが、まさにこれだなぁと最近は思います。
つまり、「ただ単にリーダー論を批判するだけ」では、まったく意味がないんだろうなと。
具体的に、環境を変えていく必要があると。

このブログが、何らかの先行刺激、弁別刺激として機能してくれればいいなと思いつつ、今日はこれまで。