前回のエントリ で、もはやこのブログでは恒例ネタになっている(気もする)リーダー論への批判をいくつか書きました。
4つほどギモンとか批判とか問題点を指摘したわけですが、まだあります(笑)。
まあ、ちょっと考えただけでこれだけギモンとか問題点が出てくるって時点でリーダー論ってのがどれほどあてにならないかってのもわかりそうなもんですね。

では、いってみましょう。


5.方法論的な問題

飼い主や家族に対して、唸る、本気で噛みつくといった行動をするイヌは、俗に「権勢症候群(アルファシンドローム)のイヌ」などといわれたりします。
言い換えれば、「イヌが飼い主より偉くなっている=イヌがリーダーになっている」というものでしょう。
そうした問題、つまり「イヌの支配性からくる攻撃行動の問題」に対する方法として、前回のエントリの引っ張り癖のところにも出てきた、「ホールドスチール」「マズルコントロール」といったものが、よく挙げられます。
これらの具体的な方法、やり方については、てきとーにググってください。
丁寧に教えてくれるサイトがあると思います。

しかし、こうした方法は「攻撃行動がなおるどころか、ますますひどくなる」可能性が非常に高いのでやってはいけません
大事なことなので、もう一度書きます。
いわゆる「イヌの攻撃行動の改善」のために、ホールドスチールとかマズルコントロールといった方法は、なおるどころかひどくなる可能性が高いのでやってはいけません

実際、「ホールドスチールをやればやるほど、攻撃がひどくなった」という例は、たくさんあります
こういった「攻撃的な行動を見せるイヌに対する、身体拘束的な方法」は、危険ですのでやめましょう。
「仰向けにして押さえつける」なんてのも、同じです。
やめましょう。

僕は、なぜこんな危険な方法を勧めるトレーナーがいるのか、まったく信じられません。
本っ当に信じられない。
しかも、「行動学を勉強して~」とかいうトレーナーだったとしたら、なおさらです。
行動学をちょろっとでもかじってれば、この方法がどんな問題を引き起こすかぐらい、わかってて当然です。
これについては結構怒ってるんです僕は。


6.「信心が足りない」のと何が違うのか

こうした批判的記事を書くと、「でも、うちのイヌはうまくいったよ」というエピソードや、「わたしはこういった方法で、何頭ものイヌの問題を改善してきた」というエピソードが寄せられることがあります。
確かに、それで「うまくいくこと」もあるでしょう。
特に、5.で挙げたような「ホールドスチール」とか、そういった「イヌの身体を拘束するような方法」を、「ルックアップ法」などと称して推奨する向きもあるようです。

しかし、それらの方法がうまくいったイヌがいるからといって、他のイヌにもうまくいくとは限りません。
そもそも、「うまくいったよエピソード」なんて、もっともあてにならない情報です。
また、他の飼い主さんにもうまくいくとは限りません(これは、前に書いた「生存バイアス」の話 とも関わってくる問題でもあります)。
みんな言いますよね「万能な方法はない」って。
あるいは「マニュアル通りにはいかない」って。

まあ、「イヌのしつけはマニュアル通りにはいきません」って言う人ほど、「これこれこういうイヌには、これこれこういう方法が有効です」とか、「なんちゃら式訓練を行えば、こういうイヌは必ずよくなります」とか、「私の○○法は、とくに□□なイヌには有効です」といった、「マニュアル通りの対応」を教えてくれるんですけど。
あともいっこ言うと、その「マニュアル」ってどこに売ってるんですかね。
あれですかね、なんか「ドッグトレーニングマニュアル」とかいうあのデカイ本のことですかね。


閑話休題。


さてさて、そもそもこの「リーダー論」は、「飼い主がリーダーにならなくてはいけない」という考えです。
「トレーナーがリーダーになる」とか、「隣の奥さんがリーダーになる」とか、「散歩中に出会うおじさんがリーダーになる」とかではなく、「飼い主がリーダーになる」という考えです。

ところが、先にも書いたように、「ホールドスチール」とかの「身体拘束的な方法」をとると、攻撃行動がますますひどくなるイヌというのが存在します。
つまり、飼い主さんにしてみれば、「なおそうと思って頑張れば頑張るほど、問題が深刻になっていく」ということです。
こうなってしまったとき、いわゆる「リーダー論信者」はなんと言うでしょうか?

 「あなたがリーダーになればなおるんだから、
  頑張ってリーダーになりましょう」


大体こう言います。
そいでもって、↑に挙げたように「他のイヌはうまくいってる」なんてエピソードが紹介されます。
そして、こういった考えは、何も「ホールドスチール」とかの方法をやっていく話だけで出てくるのではなく、「服従訓練」でも同じです。

でね、こういうのってアウトですよね。

「問題行動で困っている」飼い主が、プロのトレーナーにお金払って依頼します。
んで、色々教えてもらいます。
んで、色々実践してみます。
んで、結果「うまくいかなかった」とします。

そうなると、ひたすら「あなたがリーダーになればなおるんだから」と言われます。
これはつまり、「あなたがリーダーになってないから、なおらない」ってのと同じです。

んで、その「リーダーになる方法」を実践します。
んで、やっぱり「うまくいかなかった」とします。

するとまた、「あなたがリーダーになってないから」と言われます。
以下無限ループ。

アウトでしょうこれは。


 「飼い主がリーダーになりましょう」
  ↓
 「飼い主がリーダーになれば、問題行動は解決する」
  ↓
 「問題行動の原因は、飼い主がリーダーになっていないから」
  ↓
 「色々とうまくいかないのも、飼い主がリーダーになっていないから」
  ↓
 「飼い主がリーダーになりましょう」
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これでは、単に「飼い主が頑張ればなんとかなるよ!」という根性論、精神論を言ってるのと同じです。
なんの意味もありません。

そして、「うまくいかないことの責任」を、「飼い主がリーダーになっていない」という風に、飼い主へ押し付ける考え方と言えます。
ちなみにこれは、「信頼されるリーダーになる」でも、「イヌとしっかりした信頼関係を築く」でも、論理的には同じです。
しっかり愛情を注ぐ」も同じね。
信頼関係が築ければなおるんだから」「愛情を注げばなおるんだから」って感じ。
ついでにいえば、「リーダーになる」を、「信心する」にかえても同じです。

つまり、こうした考え方のトレーナーに相談すればするほど、「飼い主であるあなたが頑張ってリーダーになればよい」「あなたが頑張りさえすればよい」と、飼い主さんはどんどん突き放され、孤立していくことになります

非常に問題があると言えるでしょう。



あ、さて。
ここまでつらつらと、問題点やらギモン点やらを書いてきましたが、しかしそれでも、この考えはなくなっていません。
これは何故か?

わざわざ「リーダー論について 2011」としたわけですから、これまでにはなかった新たな論点というか、視点からの批判も行おうと思ってます。
つまり、ここまでが壮大な前フリ(これも、このブログでは恒例)です。

ということで、更に次回へ続きます。