「きちんと褒める」とはどういうことか~ の続きです。


「褒めるしつけ」というものが、随分と一般的になってきた(ように思う)今日この頃ですが、同時に「じゃあ、『きちんと褒める』ってなんなの?難しいです!><」という方が一定数いるというのが、実感としてあります。
そしてこれは、飼い主さんだけではなく、「プロのトレーナー」と呼ばれる人にも多い。
そんなわけで、この「きちんと褒める」ということについて。

前回のエントリ の最後に、このように書きました。


 「きちんと」の基準は、挙げればいくらでも出てきそうですね。
 人によっても違いそうです。

 では、どうやって「きちんと褒めたかどうか」を確認すればいいんでしょう?
 どうなったら、「きちんと褒めたこと」になるんでしょう?


「犬を褒めましょう」というとき、それを言う人それぞれによって「褒める内容」が違うときがあります。
前回のエントリでも挙げたように、「高い声で褒める」「体をしっかり撫でる」「食べ物を使う」「クリッカーを使う」と、色々な「やり方」があったりします。
また、「撫でる」一つとっても、たとえば「撫でるというより、軽くパンパンと叩いてあげる」「胸のあたりを強めに撫でる」というように、「色々な撫で方」というものがあります。
更には、「笑顔が大切」だとか、「飼い主さんが楽しそうにする」といった、「飼い主の態度」に言及するものもあれば、「心の底から犬のことを認め、褒めてあげる」「小手先のテクニックで褒めても、犬には通用しません。深い愛情を持って褒めましょう」というように、「飼い主の気の持ちよう」までもが、「褒め方」の定義の範疇に入っていたりもします。
また、人によっては「食べ物やおもちゃといったものに頼るのは、褒めたことにならない。それは単に『取引き』をしている、『賄賂』を送っているだけだ」という意見もあれば、「食べ物を使うと、犬の狩猟本能を呼び覚ますことになるので、しつけにはむしろ逆効果」なんていう意見まであります。
あるいは、先日のエントリに挙げた例すべてを指して、「褒める」としている人もいます。

このように「犬を褒める」という、とても単純な作業に見えることでも、その中身は実に多種多様に考えられていることがわかります。

こうしたことは、結果的に飼い主さんを混乱させてしまいます
じゃあ、どう考えればいいのか?

そもそも「褒める」という行為は、なんのためにやるのか?を、考えてみましょう。
答えは、とても簡単です。

「ある行動を増やすため」

これです。

「やめさせたい」と思っている行動を、「褒める」という人はいません。
「やって欲しい」と思っている行動、つまり「正しい」「適切な」行動を、今よりも更に増やしたい、続けてもらいたいと思うから、「褒める」わけです。
これが、「褒める」という行為の本質であり、目的です。

答えはもう、出ていますね。

「きちんと褒める」とはどういうことか?
それは、「やって欲しい行動、正しい行動、適切な行動が、増える、続くように褒める」ということになります。

これはまさに、行動分析学でいうところの、「強化」の概念です。

 強化:行動が増えるような手続き、または現象

行動分析学では、「行動が増える」ということを、「強化」と言います。
これはもう何度も言ってることですが、「褒める=強化」ではありません
いくら褒めようが、何をしようが、行動が増えない限りはそれは「強化」にはならないわけです。
そしてこの「強化」という概念は、まさに「犬を褒める目的そのもの、本質そのもの」であるわけです。

で、あるならば、です。
先日のエントリで挙げたたくさんの例(「高い声で褒める」「体をしっかり撫でる」「食べ物を使う」「クリッカーを使う」「オモチャで遊ぶ」など)も、「行動が増えた」ことを確認してはじめて、「きちんと褒めた」ことになります。

ここで言いたいことは何か?
それは、「きちんと褒める」というのは、常に「やってみた結果」を見ないとわからないということです。
どんな「やり方」であれ、どんな「態度」であれ、どんな「飼い主さんの愛情溢れる褒め褒め」であれ、「行動が増えたかどうかで、褒めたかどうかが決まる」わけです。
つまり、「褒める前に決まることではない」ということ。
ものすごく簡単にいえば、「やってみないとわからない」ということ。
試行錯誤ですね。

言い換えればこれは、「正しい褒め方なんて、やってみないとわかんないじゃん」ということです。


僕は常々、「褒め方に振り回される飼い主さんや、トレーナーが多い」と思っています。

やれ「食べ物を使うのはダメだ」だの、「声の出し方がどうだ」だの、中には「手の角度がどうこう」とかいうバカげたものまであります。
また、「飼い主が心の底から深い愛情を持って云々」とか。


「正しい褒め方」というものがあると、みんな思っている。
確かに「正しい褒め方」というものは、あるのでしょう。
しかし、その「正しさ」というのは、「やる前にはわからない」わけです。
でも、「褒め方」にこだわる人は、やりもしないうちから、その「正しさ」を判断しようとします。
でもそれは、不可能です。


「やってみて はじめてわかる 褒めるかな」




ここでようやく、この一連のシリーズの大きなテーマに近づいてきました。

次回は、「正しいコマンド」について書きます。


あと、並行する形で、「リーダー論」についてのエントリを書いている最中です。
何人かの飼い主さんから、リクエストがあったので。
書きあがり次第、アップします。