あまり犬のしつけとは直接的に関係はないのですけれども、せっかく行動分析学っていう「人間行動を理解するための学問」を勉強しているのだから、そういったことに関連したことも書いてみようかなーと。

あと今日は誕生日だしね

※字が大きく見えたり赤く見えたりするのは多分錯覚です。


あ、時々「犬の行動学を勉強してるんですよね?」みたいなことを言われたりもするのですが、僕が勉強しているのはあくまで「人間の心理学の中にある、行動分析学という学問」であって、「犬の行動学」というのはまったくと言っていいほど勉強していません。
というか、アカデミックな領域には「犬の行動学」っていうのは、多分無いと思います。

ま、それはそれとして。

知り合いからこんなお話を聞きまして。
ある社員研修でのヒトコマです。

教官役の上司の方が、「じゃあ、今日の研修について何か質問あるかー?」と、参加者に聞いたらしいんですね。
すると、ある社員が手を挙げて質問をしたそうです。
知り合い曰く、「かなりトンチンカンな質問」だったそうで、「なんでそんな質問するかなー?」という感じだったそうなんですが、その質問を聞いた上司が「くだらん質問をするな!」と激怒。
要は「ちゃんと今日の話を聞いてたら、そんな質問が出てくるわけがないやろ!」ということでした。

そして、またその上司が教官役をする研修があったとき、今度は誰も質問をしなかったそうです。
ここでも上司大激怒。

「質問が出ないってことは、お前らは俺の話をちゃんと聞いてなかったっていう証拠や!」

でも、誰からも質問は出なかったそうです。

さてさて、何故に社員からの「質問行動」は、減少してしまったんでしょうか?

実は、動物っていうのは「嫌な出来事がたくさん起こる環境」では、行動が出にくくなるという特性を持っています。
ものすごくわかりやすく言うと「怒られるんだろうなぁって状況では、積極的に行動しなくなる」ということ。

あなたも経験ありませんか?
何か言うと怒られるかもしれないから、とりあえず大人しくしてやり過ごそうみたいなこと。
それは、こういうことだったんですね。

この上司は、「くだらん質問をするな!」と怒ったわけですね。
つまり、「色々な質問の中から、『くだらない質問だけ』を、減らしたかった」ことがわかります。
しかし、社員の皆さんは「強く怒られる」というのを見てしまい、簡単に言えば「萎縮してしまった」わけです。
それによって「質問する」という行動すべてが、減ってしまったと。


この上司の方は、どうすればよかったんでしょうね?

とにかく「質問させる」だけに限定するなら、手が挙がったことそのものを「よく質問してくれたね」と言ってあげるべきだったろうと思います。
そしてそこから、「ぐっと来る質問」が出るまで根気よく待ってあげれば、いずれ「ぐっと来る質問」が出たことでしょう。

これは、実はとても大事な「行動的アプローチ」の原則を示しています

私たちは、どうしても「できていないこと」にフォーカスしてしまいがちです。
しかし、「できていないこと」ばかりを見てしまうと、これまたどうしても「何故できないんだ」と、責めてしまいがちです。
すると、このエピソードの社員さんのように、萎縮してしまうことになりかねません。

だからこそ、「できていること」に着目して、そこを伸ばしていくことが大事になるんですね。

最初に手を挙げた社員さんは、確かに「ぐっと来る質問」はできなかったかもしれませんが、「質問」そのものはできていました。

この「今、できていることを認め、そこを伸ばす」というのが、行動的アプローチの原則だと思っています。


とまあこんな風に、わんこのことだけではなく、人や社会についても色々考えていこうかなーなんて思ってます。
行動分析やABA(応用行動分析)は、そもそも「人の行動のあれやこれや」のためのものですからね。
僕がたまたまそれを、「犬のしつけ」に応用しているだけなので。

何故「犬の行動学」とかいうものではなく、「行動分析」なのか?ってのは、改めて書こうかな。