主従関係、信頼関係を考えるってシリーズ記事が、ようやく完結。
んで、あとがき的なものと、僕が今後やっていきたいなーと思っていること。

主従関係、信頼関係を考える

主従関係、信頼関係を考える その2
主従関係、信頼関係を考える その3



今回の一連のエントリを書きながら思ったのが、「あー、だから僕はリーダー論に批判的になるんだな」ってことなんですよね。
いわゆる「リーダー論」ってのは、色々な表現の仕方はありますけど、結局は「飼い主がリーダーになりなさい」と、飼い主さんに責任を負わせる考え方だと思うんですよね。

人の子供のしつけでも一緒だと思いますけど、なんていうか「しつけ」ってね、「まずは家でちゃんとできるようになってから、社会に出してこい」みたいなね、親、特に母親の責任を求める社会的な空気みたいなのがあるじゃないですか。
「親の顔が見たい」とかね。

でもねー、子供がどこでどんなことを覚えてくるか?なんてのを、全部管理するなんて無理なんですよね。
子供には子供の社会(幼稚園とか学校とか近所の友達)とかあるわけで。
それもこれもを全部「親のしつけがなってない」みたいに言われちゃうと辛いよなぁと。 

そいでもってあれですよ。
母親がちょいと飲みに行ったりすると、「子供をほったらかして」みたいな空気もありますわね。
それが通るんなら、午前様で一杯ひっかけて帰ってくるお父ちゃんは何にも言われないってのはおかしいだろって意見もね、当然あるだろうと。

犬のしつけだって、まあ同じだろうと思うわけですよ。
そもそも、犬は吠えるし、噛むし、色々イタズラするように発達するんですよ。
それを、全部しつけで何とかする、何とかできるって考えるのは、こりゃ間違いです。
いや、トレーナーがこういうこと言うと怒られるかもしれませんけど、犬のすべての行動をコントロールできるなんてことはありえません
人間の行動すべてをコントロールできないのと同じです。
神様でもない限り無理です(戦争とか環境汚染とかを見ると、神様でも無理なのかもしんない)。

そりゃね、やっぱり「しつけをするのは飼い主の責任」ってのはあります。
でも、トレーナーに依頼してる時点で、その責任は果たしてるって考えないと。
それなのに、「まずは飼い主さんが、きちんとしてください」ってのはないだろうと。

リーダー論とか主従関係とか信頼関係とか愛情を注いでとか、そういう言葉は「まずは飼い主さんが、きちんとしてください」ってのを内包してると思うんですね。
だから、僕はどうしても批判的になってしまう。

僕のところには、どうしてなのかわかんないんですけど「色々回ってうまくいかなくて、藁をも掴む思いでやってきました」って飼い主さんが多いんですよね(多分、ホームページが見つけにくいからだと思われる)。
で、かなりの割合でおっしゃるわけなんですよ。
「私がちゃんとしてないから、この子はこんな悪いことをするんですよね」って。
こんなことを思ってしまうまで、飼い主さんを追い詰めたのは誰か?って話ですよね。
そんでもって、「追い詰められた飼い主さんの声」は、追い詰めた張本人には届かない。
「頑張りが足りなかったからだー」で終わりですから。
だから、「頑張れば何とかなる」って考え方はなくならないんですよね。
そりゃ頑張れば何とかなることもあるとは思うんですけどね、「頑張り方がわからん」って人に「頑張れ」って言ったところで、なんの意味もないわけで。


あと、あれ。
今の日本のしつけ界の現状って、「色んな考え方があって、どれもこれも『自分が一番正しい』という顔をしている」ってのがありますよね。
これはね、飼い主さんにとってはものすごく負担だと思うんですよ。
「一体、誰の言うことを信じたらいいの?」ってなりますよね。

でもって「自己責任」でいうと、「飼い主には、色々なしつけの情報の中から、正しいものを取捨選択する能力が求められる」とか、大真面目に言う人もいるわけなんですよ。
いやいやそりゃおかしいでしょうと。
そこは飼い主さんに求めるのは筋が違うんじゃないかと。
色々なしつけ情報を出してるのはプロなんだから、まずはこっちできちんと交通整理してから届けましょうってならなと。

で、「整理」しようと思ったら、物差しが必要ですわね。
その「物差し」が、行動分析なわけなんですよ。
行動分析は、仮説、実践、検証、応用までが全部入った、「基礎から応用まで」という学問なので、物差しには最適だと思うんですよね。

当然その物差しは、僕がやっていることにも向けられるわけです。
どうしてもね、トレーナーという仕事は「職人的」な側面が大きいですから、ややもすると「俺の考え方、やり方が正しいんだ!」みたいなことになりやすい。
でも、それはよくない。
「自分がやって効果があったから、正しい」とか、「これまでの多くの実践や実績、経験から、この考え方・方法は正しい」みたいな考えほど、危ないものはないですからね。
自分の目だけでの検証は、絶対どこかで錯覚や思い込みとかの影響を受けますから。
常に、科学の目で検証しながら、振り返りながらやってかなくちゃいかんよなと。

そういう意味で、「しつけリテラシーとしての行動分析・ABA」みたいなね、そういう流れを作っていきたいなって思うんですね。
これがまあ、今の僕が今後やっていきたいなと考えていることの一つです。