前回のエントリ
の最後に、このように書きました。
トレーナーの多くが言う「主従関係」と、最近それにとってかわるように出てきた
「信頼関係」という言葉。
僕は個人的に、この言葉をトレーナーが強調しすぎるのはよくないと考えています。
更に、エントリの途中で、こんなことも書きました。
「行動を修正する」ことを考え、それが飼い主さんだけでは困難になったときに、
トレーナーの出番となる
そして、犬のしつけを語るときに、かなりの確率で出てくる言葉が、以下の2つですね。
「主従関係」
「信頼関係」
「主従関係」というのは、いわゆる「リーダー論」と呼ばれるものに基づいた考え方といえるでしょう。
「飼い主が、犬としっかりとした主従関係を築きましょう。そうすれば、賢い犬に育ってくれます」みたいな。
ただ最近は、リーダー論が否定されてきていることもあってか、少しずつこの表現が変わってきています。
「リーダーというのは、別に犬を支配しろとかいう話ではなくて、犬を守ってあげるような存在、犬から信頼されるような存在のことです」とか、「犬に偉そうにするボスになるのではなく、犬から信頼されるリーダーになることが大事です」とか、「リーダーというのは、飼い主さんがきちんとリーダーシップを発揮し、犬から信頼される存在になることです」とか。
それが転じて、「犬としっかりとした信頼関係を築きましょう」みたいにも言われるようになってきました。
「主従関係」と言われると抵抗がある人でも、「信頼関係」と言われると、納得されることが多いようですね。
そして、こういう風にも言われます。
「しっかりと主従関係を築けば、問題行動はなおります」
「しっかりと信頼関係を築けば、問題行動はなおります」
しかし僕は、こういったことをプロのトレーナーが声高に強調することは、慎むべきであると考えます。
以上を踏まえて、今日のエントリです。
まず「主従関係を築く」とは、「具体的には」どういうことなのでしょうか?
犬と飼い主がどんな状態になれば、「主従関係が築けた」ということになるのでしょうか?
そして、どうすれば「主従関係が築ける」のでしょうか?
服従訓練をして、犬のわがままは認めず、毅然とした態度で接し、褒めるときは褒め、叱るときは叱る…
こうしていれば、「主従関係」なるものが築けるのでしょうか?
この点が、実に曖昧でよくわかりません。
なんでよくわからないか?というと、「主従関係」というのは目に見えません。
目に見えないので、「築けたかどうか?」を、確認することができません。
つまり、「今、主従関係が築けているのかどうか?」を、この世の誰も判断することができません。
そんな「築けているかどうかわからない」ものを、目指せといわれるわけです。
これでは、「どこかにゴールがあるマラソンを走りましょう」と言われているのと同じで、「ゴールまであと何kmなのか?」とか、「そもそもゴールはどこにあるのか?」とかが、さっぱりわかりません。
これは、「信頼関係」もまったく同じです。
しかし、こういう反論もあるでしょう。
「確かに、主従関係(信頼関係)は目には見えない。しかし、目に見えないからといって、無いとは言えない。だって、私は『主従関係(信頼関係)を築けた』と実感している」
「そういう関係になったと実感する」ことは、あるようです。
では、どういう状態になったら、「そういう関係になったと実感する」のでしょうか?
もう答えを書いちゃいましょう。
・飼い主の指示に、犬が従う
・飼い主に危害を加えない
・飼い主が毅然とした態度で叱れば、きちんと反省する
・飼い主に身を預けてリラックスできたりする
・常に飼い主を目で追い、アイコンタクトがよく取れる
大体、こういう状況になったら「主従関係(信頼関係)」が築けたと言えるのではないでしょうか?
そして、そういう関係が築けたら、確かに問題行動なんかは起こりそうにありません。
めでたしめでたし…と言いたいところなのですがっ。
これ、ちょっと考えるとすごく変なことになるのがわかるでしょうか?
たとえば、あなたが「全然言うことをきいてくれない…」という悩みを持っているとします。
そこで誰かに相談したら「主従関係(信頼関係)を築きなさい」というアドバイスが返ってきたとします。
曰く「主従関係(信頼関係)がしっかりと築けたら、言うことを聞いてくれるようになりますよ」と。
しかし、「飼い主の指示に、犬が従うようになる」と、「主従関係(信頼関係)が築けた」ように感じるわけです。
むむむ?なんか変ですね。
言うことを聞いてくれない…どうすれば?=主従関係(信頼関係)を築きなさい
主従関係(信頼関係)が築けた状態=飼い主の指示に、犬が従うようになる
言うことを聞いてくれない…どうすれば?=飼い主の指示に、犬が従うようにしなさい
どうでしょうか?
これは、いわゆる「トートロジー(同語反復)」と呼ばれるものです。
一見何かを説明しているように見えて、実は何も説明していないことを指します。
いわゆる「トンデモ」とか「オカルト」とか「心霊」なんかの世界では、よく出てきます。
たとえば「主従関係を築く」を、「心の闇を取り除く」にしても、成立してしまいます。
「言うことを聞かないのは、犬の心に闇が広がっているからです。この『心の闇』を取り除いてあげることで、言うことを聞いてくれるようになりますよ」
言うことを聞いてくれない…どうすれば?=犬の心の闇を取り除きなさい
犬の心の闇を取り除けた状態=飼い主の指示に、犬が従うようになる
言うことを聞いてくれない…どうすれば?=飼い主の指示に、犬が従うようにしなさい
なんの解決にもなっていないことが、わかるでしょうか?
なんでこんなことになってしまうのか?
それは「主従関係(信頼関係)」というものは、実体のないただの「言葉」だからです。
目に見えて、そこに「ある」ものではありません。
なので、どんな言葉にでも置き換えることができてしまうんですね。
「心の闇」でも、「心の波動が乱れている」でも、「前世からのカルマ」でも、なんにでも置き換えることができます。
これだけなんにでも置き換えられるということは、「主従関係(信頼関係)」というのは、実はしつけやトレーニングにはまったく関係ないということになります。
もしも関係あるんなら、ここまで簡単に他の言葉に置き換えることなんてできませんから。
「主従関係(信頼関係)」というのは、あくまで「結果的に築けたと感じるもの」であって、それがないと言うことを聞いてくれないとかいう代物ではありません。
ここで注意していただきたいのは、僕は「主従関係(信頼関係)が、犬とは築けない」という話をしているのではないという点です。
↑にも書いたように「こういう関係を築けた」と感じるのは、あくまで飼い主さん自身であって、その人が「だって築けたように思うんだもん」と言われたら、「まあ、そうですよね」としか言えませんし、僕自身は主従関係ってのはまるで感じませんが、「信頼関係は築けたなぁ」と感じることはよくあります。
ここでの僕の主張は、あくまでこういうものです。
「主従関係(信頼関係)」というのは、まず「ありき」のものではない。
しつけや、トレーニング、日々の生活を繰り返し共に過ごすことで、
結果として「築けたと感じるもの」である。
つまり、「そういう関係がないと問題が起こる」のではなく、「問題が起こらなくなったときに、そういう関係が築けたんだなぁと感じる」のである。
よって、「○○関係が築けないと、問題が起こる」というのは、
ただのトートロジー(同語反復)であり、なんの説明にもなっていない。
しかし、まだこういう反論もあろうかと思います。
「信頼関係が築けたかどうかは別として、信頼されていない間は、
やはりコマンドには従わない。
まずは犬と仲良くなって、信頼されるところから始めないと、
いきなり『言うことをきけ!』とやっても、反発されるだけだ」
あるいは、こういう反論もあるかもしれません。
「主従関係を築くというのは、飼い主がリーダーシップを取るということ。
確かに、そういった関係が築けたかどうかは、最後にならないとわからない。
でも、まずは『リーダーシップを取る』ところから、始めないといけない」
ていうか、いくらでも反論はできちゃいます。
なんでかっていうと、「主従関係(信頼関係)」ってのは実体がないものなので、どうとでも解釈できて屁理屈を述べられるので。
どれだけ否定しようが、何度でもよみがえってきます。
実体のない、トートロジー的な屁理屈は、この辺が厄介ですね。
さて、ひょっとしたら、こんな疑問を持ってらっしゃるかもしれません。
「TaKaYaMaは、なんでこんなにも主従関係とか、信頼関係とかにこだわってるんだ?
別にいいじゃないか。
自分は自分のやり方、考え方で、仕事をしてれば」
確かに、これは一理あります。
んが、僕にはこれらの考え方に、こだわってしまいます。
何故僕はこだわっているのか?
どうしてここまで批判するのか?
ちゃんと理由があります。
ということで、次回に続く…
トレーナーの多くが言う「主従関係」と、最近それにとってかわるように出てきた
「信頼関係」という言葉。
僕は個人的に、この言葉をトレーナーが強調しすぎるのはよくないと考えています。
更に、エントリの途中で、こんなことも書きました。
「行動を修正する」ことを考え、それが飼い主さんだけでは困難になったときに、
トレーナーの出番となる
そして、犬のしつけを語るときに、かなりの確率で出てくる言葉が、以下の2つですね。
「主従関係」
「信頼関係」
「主従関係」というのは、いわゆる「リーダー論」と呼ばれるものに基づいた考え方といえるでしょう。
「飼い主が、犬としっかりとした主従関係を築きましょう。そうすれば、賢い犬に育ってくれます」みたいな。
ただ最近は、リーダー論が否定されてきていることもあってか、少しずつこの表現が変わってきています。
「リーダーというのは、別に犬を支配しろとかいう話ではなくて、犬を守ってあげるような存在、犬から信頼されるような存在のことです」とか、「犬に偉そうにするボスになるのではなく、犬から信頼されるリーダーになることが大事です」とか、「リーダーというのは、飼い主さんがきちんとリーダーシップを発揮し、犬から信頼される存在になることです」とか。
それが転じて、「犬としっかりとした信頼関係を築きましょう」みたいにも言われるようになってきました。
「主従関係」と言われると抵抗がある人でも、「信頼関係」と言われると、納得されることが多いようですね。
そして、こういう風にも言われます。
「しっかりと主従関係を築けば、問題行動はなおります」
「しっかりと信頼関係を築けば、問題行動はなおります」
しかし僕は、こういったことをプロのトレーナーが声高に強調することは、慎むべきであると考えます。
以上を踏まえて、今日のエントリです。
まず「主従関係を築く」とは、「具体的には」どういうことなのでしょうか?
犬と飼い主がどんな状態になれば、「主従関係が築けた」ということになるのでしょうか?
そして、どうすれば「主従関係が築ける」のでしょうか?
服従訓練をして、犬のわがままは認めず、毅然とした態度で接し、褒めるときは褒め、叱るときは叱る…
こうしていれば、「主従関係」なるものが築けるのでしょうか?
この点が、実に曖昧でよくわかりません。
なんでよくわからないか?というと、「主従関係」というのは目に見えません。
目に見えないので、「築けたかどうか?」を、確認することができません。
つまり、「今、主従関係が築けているのかどうか?」を、この世の誰も判断することができません。
そんな「築けているかどうかわからない」ものを、目指せといわれるわけです。
これでは、「どこかにゴールがあるマラソンを走りましょう」と言われているのと同じで、「ゴールまであと何kmなのか?」とか、「そもそもゴールはどこにあるのか?」とかが、さっぱりわかりません。
これは、「信頼関係」もまったく同じです。
しかし、こういう反論もあるでしょう。
「確かに、主従関係(信頼関係)は目には見えない。しかし、目に見えないからといって、無いとは言えない。だって、私は『主従関係(信頼関係)を築けた』と実感している」
「そういう関係になったと実感する」ことは、あるようです。
では、どういう状態になったら、「そういう関係になったと実感する」のでしょうか?
もう答えを書いちゃいましょう。
・飼い主の指示に、犬が従う
・飼い主に危害を加えない
・飼い主が毅然とした態度で叱れば、きちんと反省する
・飼い主に身を預けてリラックスできたりする
・常に飼い主を目で追い、アイコンタクトがよく取れる
大体、こういう状況になったら「主従関係(信頼関係)」が築けたと言えるのではないでしょうか?
そして、そういう関係が築けたら、確かに問題行動なんかは起こりそうにありません。
めでたしめでたし…と言いたいところなのですがっ。
これ、ちょっと考えるとすごく変なことになるのがわかるでしょうか?
たとえば、あなたが「全然言うことをきいてくれない…」という悩みを持っているとします。
そこで誰かに相談したら「主従関係(信頼関係)を築きなさい」というアドバイスが返ってきたとします。
曰く「主従関係(信頼関係)がしっかりと築けたら、言うことを聞いてくれるようになりますよ」と。
しかし、「飼い主の指示に、犬が従うようになる」と、「主従関係(信頼関係)が築けた」ように感じるわけです。
むむむ?なんか変ですね。
言うことを聞いてくれない…どうすれば?=主従関係(信頼関係)を築きなさい
主従関係(信頼関係)が築けた状態=飼い主の指示に、犬が従うようになる
言うことを聞いてくれない…どうすれば?=飼い主の指示に、犬が従うようにしなさい
どうでしょうか?
これは、いわゆる「トートロジー(同語反復)」と呼ばれるものです。
一見何かを説明しているように見えて、実は何も説明していないことを指します。
いわゆる「トンデモ」とか「オカルト」とか「心霊」なんかの世界では、よく出てきます。
たとえば「主従関係を築く」を、「心の闇を取り除く」にしても、成立してしまいます。
「言うことを聞かないのは、犬の心に闇が広がっているからです。この『心の闇』を取り除いてあげることで、言うことを聞いてくれるようになりますよ」
言うことを聞いてくれない…どうすれば?=犬の心の闇を取り除きなさい
犬の心の闇を取り除けた状態=飼い主の指示に、犬が従うようになる
言うことを聞いてくれない…どうすれば?=飼い主の指示に、犬が従うようにしなさい
なんの解決にもなっていないことが、わかるでしょうか?
なんでこんなことになってしまうのか?
それは「主従関係(信頼関係)」というものは、実体のないただの「言葉」だからです。
目に見えて、そこに「ある」ものではありません。
なので、どんな言葉にでも置き換えることができてしまうんですね。
「心の闇」でも、「心の波動が乱れている」でも、「前世からのカルマ」でも、なんにでも置き換えることができます。
これだけなんにでも置き換えられるということは、「主従関係(信頼関係)」というのは、実はしつけやトレーニングにはまったく関係ないということになります。
もしも関係あるんなら、ここまで簡単に他の言葉に置き換えることなんてできませんから。
「主従関係(信頼関係)」というのは、あくまで「結果的に築けたと感じるもの」であって、それがないと言うことを聞いてくれないとかいう代物ではありません。
ここで注意していただきたいのは、僕は「主従関係(信頼関係)が、犬とは築けない」という話をしているのではないという点です。
↑にも書いたように「こういう関係を築けた」と感じるのは、あくまで飼い主さん自身であって、その人が「だって築けたように思うんだもん」と言われたら、「まあ、そうですよね」としか言えませんし、僕自身は主従関係ってのはまるで感じませんが、「信頼関係は築けたなぁ」と感じることはよくあります。
ここでの僕の主張は、あくまでこういうものです。
「主従関係(信頼関係)」というのは、まず「ありき」のものではない。
しつけや、トレーニング、日々の生活を繰り返し共に過ごすことで、
結果として「築けたと感じるもの」である。
つまり、「そういう関係がないと問題が起こる」のではなく、「問題が起こらなくなったときに、そういう関係が築けたんだなぁと感じる」のである。
よって、「○○関係が築けないと、問題が起こる」というのは、
ただのトートロジー(同語反復)であり、なんの説明にもなっていない。
しかし、まだこういう反論もあろうかと思います。
「信頼関係が築けたかどうかは別として、信頼されていない間は、
やはりコマンドには従わない。
まずは犬と仲良くなって、信頼されるところから始めないと、
いきなり『言うことをきけ!』とやっても、反発されるだけだ」
あるいは、こういう反論もあるかもしれません。
「主従関係を築くというのは、飼い主がリーダーシップを取るということ。
確かに、そういった関係が築けたかどうかは、最後にならないとわからない。
でも、まずは『リーダーシップを取る』ところから、始めないといけない」
ていうか、いくらでも反論はできちゃいます。
なんでかっていうと、「主従関係(信頼関係)」ってのは実体がないものなので、どうとでも解釈できて屁理屈を述べられるので。
どれだけ否定しようが、何度でもよみがえってきます。
実体のない、トートロジー的な屁理屈は、この辺が厄介ですね。
さて、ひょっとしたら、こんな疑問を持ってらっしゃるかもしれません。
「TaKaYaMaは、なんでこんなにも主従関係とか、信頼関係とかにこだわってるんだ?
別にいいじゃないか。
自分は自分のやり方、考え方で、仕事をしてれば」
確かに、これは一理あります。
んが、僕にはこれらの考え方に、こだわってしまいます。
何故僕はこだわっているのか?
どうしてここまで批判するのか?
ちゃんと理由があります。
ということで、次回に続く…